サイケデリック・サウンズ・オブ・13thフロア・エレベーターズ (International Artists, 1966)
ザ・13thフロア・エレヴェイターズ The 13th Floor Elevators - サイケデリック・サウンズ・オブ・13thフロア・エレベーターズ The Psychedelic Sounds of The 13th Floor Elevators (International Artists,1966) Full Album : https://www.youtube.com/playlist?list=PLiN-7mukU_RG7bVpv4kTf4Gw_ParA-uaU
Recorded at Sumet Sound Studios, Dallas, January 3, April-September 20, October 9-11, 1966
Released by International Artists Records November 1966
(Side A)
A1. You're gonna miss me (R. Erickson) - 2:31
A2. Roller coaster (T. Hall, R. Erickson) - 5:07
A3. Splash 1 (C. Hall, R. Erickson) - 3:56
A4. Reverberation (T. Hall, S. Sutherland, R. Erickson) - 2:51
A5. Don't fall down (T. Hall, R. Erickson) - 3:00
(Side B)
B1. Fire engine (T. Hall, S. Sutherland, R. Erickson) - 3:19
B2. Thru the rhythm (T. Hall, S. Sutherland) - 3:11
B3. You don't know (how young you are) (Powell St. John) - 2:59
B4. Kingdom of Heaven (Powell St. John) - 3:12
B5. Monkey Island (Powell St. John) - 2:41
B6. Tried to hide (T. Hall, S. Sutherland) - 2:48
[ The 13th Floor Elevators ]
Roky Erickson - vocals, rhythm guitar
Stacy Sutherland - lead guitar
Tommy Hall - Amplified jug
Benny Thurman - bass ("You're Gonna Miss Me", and "Splash 1 (Now I'm Home")
Ronnie Leatherman - bass
John Ike Walton - drums, percussion
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(Original International Artists "The Psychedelic Sounds of The 13th Floor Elevators" Liner Cover & Side A Label)
このアルバムは日本のロックで言えばジャックス『ジャックスの世界』(1968年9月発売)に相当するものになるでしょう。日本で初めてサイケデリック・ロックを標榜したアルバムはザ・モップス『サイケデリック・サウンド・イン・ジャパン』(1968年4月発売)ですが、サウンド面ではブルース・ロックを標榜していたザ・ゴールデン・カップス『ザ・ゴールデン・カップス・アルバム』(1968年3月発売)やロンドン・サウンド(当時のいわゆる「スウィンギング・ロンドン」)を謳ったザ・ビーバーズ『ビバ!ビーバーズ』(1968年6月発売)の方がモップスよりも本場のサイケデリック・ロックに肉迫していました。モップスの星勝は優れたギタリストですがアレンジャー・タイプなので、モップスのデビュー作はエディ幡とケネス伊東の素晴らしいツイン・ギターを擁したカップス、後にフラワー・トラヴェリン・バンドでブレイクする天才ギタリスト石間秀樹を擁したビーバーズには当時最先端のギター・ワークではおよびませんでした。モップス自体はカップス、ビーバーズに劣らない実力派バンドでしたが、カップスやビーバーズのように突出したギター・サウンドではなかったというだけで、星の実力が本格的に開花するのはバンド自身がセルフ・プロデュース権を握り、サイケ色も薄れてハード・ロック化した1970年のセカンド・アルバムからになりました。ただし13thフロア・エレベーターズをカップスやビーバーズ、モップスよりもジャックスになぞらえるのは、サウンド面よりも何よりリード・ヴォーカリストのロッキー・エリクソン(1947-2019)の無垢な個性がジャックスの早川義夫(1947-)と同質の傷つきやすい感受性を連想させるからで、ジャックスがしばしば比較されるヴェルヴェット・アンダーグラウンドの都会的な頽廃感よりもエレベーターズの垢抜けないガレージ・パンクの哀愁感の方がジャックスとの親近性を感じさせます。特にこのアルバムではA3やA5、B3やB4などにエレベーターズのナイーヴさがよく表れています。ジャックスは東京の郊外出身の大学生バンドでしたが、都会的な華やかさや洗練にはあえて背を向けたバンドでした。エレベーターズはテキサスを本拠に地元の新興インディーズ、インターナショナル・アーティスツからアルバムをリリースしていたローカル・バンドで、テキサスから進出できる都市はロサンゼルスかサンフランシスコでした。エレベーターズの荒っぽい音楽はビジネス的に洗練されたロサンゼルス音楽界では受け入れられないので、バンドはヒッピー文化の盛んだったサンフランシスコに向かい、アルバム・デビュー前のサンフランシスコのヒッピー・バンドと交流していました。
B3・B4はバンドの友人パウエル・セント・ジョン(1940-)の曲ですが、メンバーのオリジナル曲と作風がほとんど変わりなく馴染んでいます。セント・ジョンはジャニス・ジョプリン(1943-1970)との交友や楽曲提供でも知られ、ジャニスもテキサス出身で、サンフランシスコ上京以前には準メンバーと言えるほどエレベーターズと交流が深いシンガーした。ジャニスがサンフランシスコのビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーに加入したためまだ高校生ギタリストだったエリクソンがエレベーターズに正式加入した事情があり、エリクソンは喉を絞った極端なプロト・メタル・スタイルでジャニス以前にジャニス的な唱法を実践していました。この唱法はジャニスからロバート・プラントに引き継がれハード・ロック~ヘヴィ・メタル・ヴォーカリストの典型例となります。エリクソンは本作録音時まだ18~19歳でした。実際にはバンドのリーダーはメンバー最年長の作詞家で、エレクトリック・ジャグ担当のトミー・ホール(1943-)でした。ジャグとは広口瓶に息を吹きこんで音を出し、蓋をした手の加減で音程を変化させる手製楽器で、ホールのエレクトリック・ジャグはそれをマイクで拾い、アンプを通したものでした。音程や音質の制限からサウンド・エフェクト以上の効果はありませんが、こんな楽器の専任奏者をコミック・バンドではなく編成に加えていたのはエレベーターズくらいです。近い発想にシンセサイザーをノイズ発信機に使用していた初期ロキシー・ミュージックが'70年代に現れ、またサイケデリック・ロックとロキシーからの影響が強いホークウィンドはノイズ担当奏者(ムーグ・シンセサイザーや電子発振器をサウンド・エフェクト専門に使用)が二人もいるスペース・ロック・バンドでした。その点でもエレベーターズの後継者は、やはりカルト的なヒッピー・バンドでコミューン的活動をしていたホークウィンドでしょうか。グレイトフル・デッドにはエレベーターズやホークウィンドのような狂気や陰鬱なメランコリー感覚は稀薄です。エレベーターズをジャックスになぞらえるなら、ホークウィンドに当たる日本のロック・バンドには裸のラリーズがいます。エレベーターズとジャックスはサウンド面ではそれほど似ていません。エレベーターズはアメリカならではの白人ハード・ロックですし、ジャックスは洋楽の影響を拒絶して日本のロックのオリジネイターになりました。ホークウィンドと裸のラリーズはイギリスや日本という土着性を感じさせないアシッド・ロックのバンドで、ラリーズの最大の影響源がジャックスやヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ブルー・チアーなのは明らかですが(ただしラリーズの水谷孝はジャックスからの影響をはっきり否定しています)、ラリーズにはアモン・デュールIlやホークウィンド(この2バンドはメンバー交換がある)を参照した楽曲があります。ラリーズはオリジナリティの方が強いのですが、逆にラリーズがこれほど海外ロックからの明らかな影響源を示した楽曲があるのは珍しいのです。
デッドもホークウィンドもバンドのブレインに専属作詞家がいました(プロコル・ハルムやキング・クリムゾン、初期ブルー・オイスター・カルトもそうでした)。エレベーターズのトミー・ホールはバンド内作詞家で、ムーディー・ブルースならグレアム・エッジ、ブラック・サバスで言えばジーザー・バトラーに当たる、バンドのコンセプト・メイカーで実質的リーダーの作詞家でしたし、作曲家やヴォーカル担当者ではないところも似ています。ただしコンセプト・メイカーというのは重要なことで、力量あるミュージシャンでも音楽的方向性を決定するのは困難です。キング・クリムゾンがピート・シンフィールド、ブルー・オイスター・カルトがサンディー・パールマン、ブルース・スプリングスティーンがジョン・ランドゥといったブレインを必要としたように、多才なミュージシャンだからこそセルフ・プロデュースではなくバンド専属プロデューサーを立てる場合もあります。バンド内にコンセプト・メイカーを持つ場合でも、サウンド面では必ずしもリーダーシップを取っているとは限りません。エレベーターズの場合は最終作『ブル・オブ・ジ・ウッズ(Bull of The Wood)』(1969年9月発売)制作途中でホールもエリクソンも私生活でトラブルが相次ぎ、バンドに参加できなくなって脱落し、ギタリストのサザランドがホールとエリクソン在籍中の録音になんとか追加録音と追加曲でアルバム1枚にまとめたものでしたが(ジャックスも第2作『ジャックスの奇蹟』の半数録音でリーダーの早川が脱退してしまいます)、サウンド面ではサザランドのギターがエレベーターズの中心だったので半数が従来のエレベーターズ、半数がサザランドがリーダーになったエレベーターズと思えば聴きどころの多いアルバムです。しかしエレベーターズの魅力はホールの仕切ったうさん臭いオカルト的ムードとエリクソンのヴォーカルにあり、サザランド一人では割と普通のガレージ・パンクの域に留まります。サンディー・パールマンが実力はあるのに個性に欠けるバンドに目をつけてブルー・オイスター・カルトに変身させたのは、ドアーズやサバスに並んでエレベーターズもモデルになっていたでしょう。BOCはパールマンによって作られたバンドであり、エレベーターズやグレイトフル・デッド、ホークウィンドのような自然発生的ヒッピー・バンドではなく、バンドのキャラクター=フィクションという自意識によって後続のKISSに近い存在でした。
エレベーターズの最高傑作は第2作『イースター・エヴリホェア(Easter Everywhere)』(1967年11月発売)という定評があり、サウンドはデビュー作より格段にタイトになっています。楽曲もパウエル・セント・ジョンに頼らず、ボブ・ディランの「ベイビー・ブルー(It's All Over Now, Baby Blue)」の素晴らしいアシッド・ロック・カヴァー以外全曲がメンバーのオリジナルになりました。ただし、傑出した曲がある一方でメンバーの作風には幅があるとは言えず、作曲力の限界も感じさせます。デビュー作『サイケデリック・サウンズ~』は演奏や録音にムラがありますが、何より楽曲が粒ぞろいで捨て曲がありません。第2作のエレベーターズはタフですがデビュー作にはナイーヴな瑞々しさがあります。唯一の全米ヒット(最高位50位)となった荒々しい「ユア・ゴナ・ミス・ミー」や「ローラー・コースター」、テレヴィジョンのライヴ・レパートリーになった「ファイア・エンジン」はガレージ・クラシックになりましたし、ガレージ・フォーク・ロックの「スプラッシュ1」や「ドント・フォール・ダウン」(エリクソンのエレベーターズ加入前のバンド、ザ・スペイズの「ウィ・セル・ソウル(We Sell Soul)」にホールが新しく作詞した曲)の抒情味も素晴らしいものです。エレベーターズはセミ・アコースティック・エレクトリック・ギターのギブソンGSを使用して同郷のZZトップら後続のバンドに大きな影響を与えましたが、演奏は不安定な面があり、「ドント・フォール・ダウン」などこのスタジオ録音はよれよれでインターナショナル・アーティスツの後輩バンド、ロスト・アンド・ファウンド(Lost and Found)の方が良いカヴァーを残しており、発掘ライヴでもこの曲や「モンキー・アイランド」など複雑なリズム処理が試されるような曲ではエレベーターズはだいたいよれよれなのですが、それでもエレベーターズならではの味があります。2010年に発掘発売されたデビュー前のデモ・テープ盤『Headstone : The Contact Sessions』(1966年1月・2月録音)はレーベルがバンドの活動休止中に無断で出したサード・アルバムの擬似ライヴ盤『Live』(1968年8月発売)のオリジナル音源ですが、本作『サイケデリック・サウンズ~』よりタイトで完成度の高い演奏が聴けるのは皮肉です。
この『サイケデリック・サウンズ~』は登録上は1966年11月発売ですが、実際は10月中旬には市場に出回っていたのが確認されており、第2作『イースター・エヴリホェア』の初回プレス1万枚の流通中に5万枚のセールスを達成しています。テキサスの新興インディーズ第1弾アルバムとしては、これは驚異的な記録であるとともに、レーベルの意気込みもあってデビュー作の売り上げを膨大な制作費に回し、勝負をかけた第2作の売れ行き不振によりバンドの財政状態の首を絞める原因にもなりました。また、ロック史上アルバム・タイトルで初めて「サイケデリック」という用語を使用した作品として、同じ1966年11月発売のブルース・マグース(Blues Magoos)『サイケデリック・ロリポップ(Psychedelic Lollipop)』、ザ・ディープ(The Deep)『サイケデリック・ムーズ(Psychedelic Moods, Vol.1)』とプライオリティを分けあうアルバムでもあります。エレベーターズには発掘ライヴや未発表スタジオ録音が20枚近くありますが、公式な作品としては4枚のみ、そのうち『ライヴ』はバンドが活動休止状態に陥ったため未発表デモ録音に拍手を重ねた、レーベルの都合で発売された作品であり、ラスト・アルバムについては前述した通りギタリスト一人が残って完成させた作品なので、純粋にバンドが活動中にリリースした作品はデビュー作と第2作の2枚しかありません。ですが『サイケデリック・サウンズ~』は同年のラヴとザ・シーズ、翌1967年のモビー・グレープのデビュー作と並んで、'60年代ロックのもっとも過小評価されたデビュー作でしょう。エレベーターズの全4作はイギリスのチャーリー・レコーズから2011年に発売されたボックス・セット『The Album Collection』(4CD)にまとめられており、また全4作に発掘ライヴや未発表スタジオ録音を加えたボックス・セットには2003年発売の『The Psychedelic World of The 13th Floor Elevators』(3CD)と2009年発売の網羅的な全集『Sign of the Three Eyed Men』(10CD)があります。エレベーターズはベーシストとドラマーは流動的なバンドでしたが、ギタリストのサザランドは1978年に夫婦喧嘩から夫人に射殺されています。エリクソンは1968年以来精神病院への入退院をくり返しながらソロ活動やサザランド逝去後のエレベーターズの一時再結成ライヴを続け、アルバム印税を受け取ったのは1989年のエレベーターズへのトリビュート・アルバムが初めてだったそうですが、トミー・ホール健在とはいえ昨年5月31日のエリクソンの他界をもってエレベーターズの歴史は閉じたと言えるでしょう。オリジナル・エレベーターズの4枚しかないアルバム・リストは以下の通りです。
[ The 13th Floor Elevators Album Discography ]
1. The Psychedelic Sounds of the 13th Floor Elevators (October 17, 1966)
2. Easter Everywhere (October 25, 1967)
3. Live (August, 1968)
4. Bull of the Woods (July, 1969)
(旧稿を改題・手直ししました)