人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

佐伯和子のポストカード・アート

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

佐伯和子(1935-)は広島県出身の墨彩画家、装丁家イラストレーター、エッセイスト。中学卒業後美容師となり、58年上京。64年のパリ留学で油彩から墨彩画に転じる。自伝に「ひとり立ちへの旅」、画集に「野山の花」、紀行スケッチに「ドイツ・メルヘン街道物語」(共著)がある。

ご紹介する3枚のポストカード・アートはパリ留学直前に赤ん坊が生まれたばかりの若夫婦の弟と義妹に宛てたもの。
上から64年10月パリ、「アパートからのながめです。パリはエントツがこんなにたくさんあります。白いのはパルテノンといって有名な人の寺院だそうです」(ペン・水彩。なお横位置の図版はあえて縱位置に撮り、そのまま掲載した)。宛名面の手紙には「横浜まで見送り、荷物ありがとう」当時の留学は船旅だったのだ(!)

中の図版は64年11月、「部屋からながめたところです」。引っ越したそうだ(たぶん安い下町に)。宛名面の手紙には「元気でしょうか。和人君も大きくなったでしょうね。私が帰る頃には飛びはねているだろうと思うと、うれしくなります」この赤ん坊がぼくである。私である。和人君である。(マジックペン・水彩・油彩)

下は昭和40年の年賀状を兼ねた64年12月製作で、ベルギー旅行に材を得た作品。緑と赤のクレヨンを下塗りし、ピンで描線をスクラッチして、仕上げに葉書の縁全体を焦がしてある。
(ちなみにどの作品にも吟味された葉書用紙が使われている)。

本当はもっとあったのかもしれないが、伯母は日本からの芸術・文化留学生グループと親しくなって弟夫婦に凝ったポストカード製作などする暇はなくなっていっただろうし、だいたいぼくの両親が筆まめ、ましてエアメールなど返信したとは思えない。赤ん坊は生後半年だし。

伯母はプロだからデッサンやペン画なら写実でもカリカチュアでもなんでも描けるが、墨彩というのはほとんど伯母ひとりのジャンルになる。一言で言えば抽象、後期のマチスがやや近い試みをしている。だが受ける印象はまるで違う。
これらの初期のポストカード作品にも、すでに具象とも抽象とも異なる感覚の萌芽が見られると思う。
スキャナーを持っていないのでベランダで携帯のカメラを使って複写したが、雰囲気はなんとなくわかっていただけただろうか?