千田光(本名・森岡四郎、1908-1935)は東京生まれの詩人。小学校までの学歴だったが、映画雑誌のアルバイト中執筆者の詩人に誘われ同人誌に作品発表するようになる。7年で散文詩14篇(20ページ強)、没後発表の遺稿もなく、私生活も判明しない。そんな詩人である。流派としてはシュールレアリスムに属する。デビュー作『歴史章』から拮屈な文体の萌芽が見られる。
石の上の真青な花。花から滅形するものの中に、厭うべき色素の骸骨がある。緑青を噴いた骸骨がある。花に禁じ得ぬ火山灰。
それは荘厳な動機によって出発する美しい首である。美しい首には、勿論、血液の真珠がある。こっちを向いた美しい首には、拭うべからざる創痕がある。
そこには幾多の屍がある。白い曠しさが、頑丈な四壁を建てている。惰力を失って、傷■に堕ちた天象。音響の花。
(1929年7月「詩神」。本文中の■は発表誌のまま。千田光は「現代詩手帳1971.1/千田光詩集」「千田光詩集(森開社・1981)」まで幻の詩人だった)
1930年の『足』は梶井基次郎がいち早く注目、三好達治・北川冬彦あて書簡で激賞し、辛うじて千田は後世に名を残すこととなった。確かに千田を代表する作品といえばこれを措いてない。
私の両肩には不可解な水死人の柩が、大磐石とのしかかっている。柩から滴る水は私の全身で汗にかわり、汗は全身をきりきり締め付ける。火のないランプのような町のはずれだ。水死人の柩には私の他に、数人の亡者のような男が、取巻き或は担ぎ又は足を搦めてぶらさがり、何かボソボソ呟き合っては嬉しげにからから笑いを散らした。それから祭のような騒ぎがその間に起こった。柩の重量が急激に私の一端にかかって来た。私は危く身を建て直すと力いっぱい足を張った。その時図らずも私は私の足が空間に浮き上がるのを覚えた。それと同時に私の水理のような秩序はうしなわれた。私は確に前進している。しかるに私の足は後退しているのだ。後退しているに拘わらず私の位置はやはり前進しているのだ。私はこの奇怪な行動をいかに撃破すればいいか。私が突然水死人の柩を投げ出すと、惰力が死のような苦悩と共に私を転倒せしめた。起きあがると私は一散に逃げ始めた。その時頭上で燃え上がる雲が再び私を転倒せしめた。
(1930年9月「詩・現実」)