人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

荒川洋治『見附のみどりに』

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 実はこれは金子光晴『洗面器』の続きでもある。この情景を詠んだ詩は『洗面器』と『見附のみどりに』しかないのではなかろうか。しかもどちらも名作となると踏襲しただけでパクリと見なされかねず、匹敵する作品をものせる見込みはほとんどない。
 『洗面器』と『見附のみどりに』にどんな共通点があるか?それは一読していただければすぐおわかりになると思います。

 荒川洋治(1949-)は福井県生まれの詩人。12歳から地方新聞や同人誌に作品発表、早稲田大学在学中の1971年、第一詩集「娼婦論」を卒業制作として刊行。出版社勤めのかたわら新人詩人のための専門出版社「紫陽社」を経営。第二詩集「水駅」1975は詩の新人賞としてもっとも歴史あるH氏賞を受賞。1980年に勤務先の出版社の廃業以後は日本では数少ない文筆専業詩人となり、エッセイや詩論も多作になる。
 荒川洋治の評価を決定したのが詩集「水駅」で、なかんずく『見附のみどりに』の一篇だった。詩人・批評家、吉本隆明の「戦後詩試論」の最終章は荒川洋治の詩法を分析し、「この詩人はたぶん若い現代詩の暗喩の意味をかえた最初の、最大の詩人である」という評価は瞬く間に現代詩の世界に浸透した。

『見附のみどりに』

まなざし青くひくく
江戸は改代町への
みどりをすぎる
はるの見附
個々のみどりよ
朝だから
深くは追わぬ
ただ
草は高くでゆれている
妹は
濠ばたの
きよらなしげみにはしりこみ
白いうちももをかくす
葉さきのかぜのひとゆれがすむと
こらえていたちいさなしぶきの
すっかりかわいさのました音が
さわぐ葉陰をしばし
打つ

かけもどってくると
わたしのすがたがみえないのだ
なぜかもう
暗くなって
濠の波よせもきえ
女に向う肌の押しが
さやかに効いた草のみちだけは
うすくついている

夢をみればまた隠れあうこともできるが妹よ
江戸はさきごろおわったのだ
あれからのわたしは
遠く
ずいぶんと来た

いまわたしは、埼玉銀行新宿支店の白金のひかりをついてあるいている。ビルの破音。消えやすいその飛沫。口語の時代はさむい。葉陰のあのぬくもりを尾けてひとたび、打ちいでてみようか見附に。
 (詩集「水駅」1975。執筆・発表1975)