萩原朔太郎、金子光晴にも「久しぶりに読んで新鮮な気分になった」とコメントが寄せられたが、中原中也(1907-1937)への反響はそれを上回った。中也の詩は読む人にダイレクトに訴えかけてくる。
『汚れっちまった悲しみに……』
汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる
汚れっちまった悲しみは
たとえば狐の革衣
汚れっちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる
汚れっちまった悲しみは
なにのぞむなくねがうなく
汚れっちまった悲しみは
倦怠のうちに死を夢む
汚れっちまった悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れっちまった悲しみに
なすこともなく日は暮れる……
(詩集「山羊の歌」昭和9年=1934年、自費出版)
中也の生涯で最大の事件は17歳(!)から事実婚にあった年上の恋人が批評家・小林秀雄のもとに走ったこと、中也の死に1年先立つ長男・文也の満2歳1か月の急死(小児結核)、このふたつに尽きる。中也の2冊の詩集「山羊の歌」「在りし日の歌」は、詩篇ごとは異なっても、詩集全体のモチーフは恋人との別離、愛息の死で統一されていると思える。
『骨』
ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きていた時の苦労にみちた
あのけがらわしい肉を破って、
しらじらと雨に洗われ
ヌックと出た、骨の尖
それは光沢もない、
ただいたづらにしらじらと、
雨を吸収する、
風に吹かれる、
幾分空を反映する。
生きていた時に、
これが食堂の雑踏の中に、
座っていたこともある、
みつばのおしたしを食ったこともある、
と思えばなんとも可笑しい。
ホラホラ、これが僕の骨--
見ているのは僕? 可笑しなことだ。
霊魂はあとに残って、
また骨の処にやってきて、
見ているのかしら?
故郷の小川のへりに、
半ば枯れた草に立って
見ているのは、--僕?
丁度立札ほどの高さに、
骨はしらじらととんがっている。
(詩集「在りし日の歌」昭和13年=1938年、死後出版)
『汚れっちまった……』は見事な北原白秋調だが、モダンな調べがある。
『骨』は遺稿詩集「在りし日の歌」の原稿を託された小林秀雄が高く評価した作品。