人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

13thフロア・エレヴェイターズ/2

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(続き)
さて、公式アルバムに準じるといってもいい英チャーリーからのこの2枚、もともと音の良くない録音しかなかったエレヴェイターズとは思えないくらい音が良い。シングル全集「7thヘヴン」も好企画だが、66年の未発表録音に歓声を被せたインチキ盤'Live'が原型のまま、しかも最高の音質で聴ける「コンタクト・セッションズ」には驚愕した。それこそドアーズやジャックスの未発表アルバムが発見、リリースされたようなものだ。2010年の発掘ライヴとしては村八分の「ぶっつぶせ!北区公会堂1971」と双璧、と言いたいが、考えてみたらエレヴェイターズのはスタジオ・ライヴだった。
なにしろエレヴェイターズは版権があやふやらしく、海賊盤でもないのに30枚以上の編集・発掘CDが乱発されている。確実なのはここでご紹介した5枚です。

簡単にバンドの歴史をまとめる。1965年にトミー・ホール(エレクトリック・ジャグ)がロキー・エリクソン(ヴォーカル、ギター)、ステイシー・サザランド(ギター)を誘って結成したテキサス州オースティンのローカル・バンドがエレヴェイターズで、所属は地元のマイナー・レーベルのインターナショナル・アーティスツだったからドアーズやヴェルヴェッツとは比較にならないくらい貧弱な活動環境だったわけだ。ツアーもサンフランシスコがせいぜい。ホールは本気でLSDトリップのもたらすヴィジョンを追求していた。ベースとドラムは流動的だったが、66~68年の短期間だけエレヴェイターズは地元のカリスマ・バンドになる(テキサス時代のジャニス・ジョプリンとも交流があり、音楽的な相互影響もあった)。
68年にはドラッグ摘発でホールとサザランドは入獄、エリクソンは精神病院に入り、苦肉の策で前述の「ライヴ」が発表される。69年の解散アルバム「ブル・オブ・ザ・ウッズ」はサザランドがほとんど独力で作り上げた力作。
その後ホールは相変わらずLSDトリップの追求、エリクソンは精神病院を出たり入ったりしながら不定期な音楽活動、サザランドは78年に夫婦喧嘩で奥さんに射殺された。そして評価されるまでに20年かかった(初めてエリクソンは印税をもらったという。リーダーのホールがピンハネしていたと思われる)。不遇だったとしかいいようがない。単純にかっこいいロックン・ロール・バンドです。