人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

つけ麺の歴史

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今回はつけ麺の歴史について。といっても近頃の学生のようにウィキペディアを覗いてみただけです。ウィキの功罪はしばしば指摘されることですが、ことサブカルチャーについての読者参加型辞典というのは他に例はないわけで、その点では現在これにとって代るだけの総合辞典はないでしょう。

そこでつけ麺の歴史ですが、昭和30年に東京のラーメン店D軒のY氏が開発・商品化した、というのが定説になっています。そもそもはY氏が先輩のS氏と勤めていた修行店で、余った麺を茶碗に注いだスープにつけて賄い食にしていたのがヒントになっています。

Y氏が18歳の時に先輩S氏はY氏を誘ってラーメン店D軒中野店を立ち上げました。しばらくしてD軒は代々木上原店を本店とし、中野店を任されたY氏は賄い食の商品化を思い立ちます。冷やし中華を参考にスープに酢と砂糖を効かせ、麺は3割り増しで昭和30年に「特製もりそば」としてメニューに載せられたのが最初の商品化です。

特製もりそばの反響は良く、3年後には代々木上原本店でも独自開発されました。昭和36年にY氏は東池袋D軒を暖簾分けします。このY氏の店が日本最初のつけ麺の系譜を引いているわけです。

「つけ麺」の名称が普及したのは昭和48年「元祖つけ麺大王」の進出によるものです。つけ麺の名称は定まらず、70年代後半のつけ麺ブームでも店によって「つけ麺」「もりそば」「つけそば」「中華もり」などさまざまな名称で呼ばれていました(現在も)。

つけ麺は標準的には普通の汁物ラーメンの1.3~2倍の量(平均300g)の太麺を茹であげて冷水で締めます。もう一度熱湯にくぐらせたのが「温(あつ)もり」、冷したままのものを「冷やもり」と呼びます。スープは魚粉系つけだれと豚骨系つけだれに大別されますが、実際には魚粉系と豚骨系をミックスしたさまざまな種類が工夫されています。

つけ麺ブームは2000年代以来再び盛り上がりを見せており、食品メーカー各社から生ラーメン+つけだれというかたちで販売もされ、またコンビニエンス・ストアの弁当でも販売されています。昭和55年前後の短期間H食品より家庭調理商品では初の「つけ麺」が販売されました(CMは高瀬春菜・はらたいら)が、これは冷たい「たれ」につけるタイプで本来のつけ麺とはやや異なるものでした。
以上、つけ麺の歴史でした。