人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

復刻・千田光全詩集(3)

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『失脚』

私は、私の想像を二乗したような深い溝渠の淵に立っていた。その溝渠の上には、溝渠から噴き上がったような雲が夕焼を映して蟠っていた。
不意に人のけはいがしたので雲から目を落すと、そこに一人の少年が私と同じような姿勢で、雲から目を落して私を発見(みつけ)た。彼は自分の油断を狙われて了った。かのように溝渠の半円へ遠ざかりはじめた。それは宛然、鏡面から遠ざかる私自身ででもあるかのように、少年の一挙一動は私のいらだたしいままに動いた。一体この溝渠の底に何があるのか、私は知らない。次の瞬間、少年は四つん這いになると溝渠の周囲をぐるぐる廻りはじめた。ぐるぐる廻っているうちに、いつか得体の知れない数人の男が加わった。然し溝渠の底は依然として暗く何者も認められなかった。
突然、それら数人の男が一斉に顔を上げた。驚いたことには、それが各々みんな時代のついた私の顔ばかりであった。私の顔はなんともいえない不愉快な犬のように、私の命令を求めていた。気がついて見ると、その顔顔の間で私は四つん這いになって、駄馬のように興奮しながから、なんにもない溝渠の周囲をぐるぐる這い廻っていた。
(「詩・現実」1930年6月・創刊号)

次の『足』は梶井基次郎三好達治北川冬彦宛に同号掲載の北川『汗』に次ぎ千田を賞賛する書簡を残している(1930年9月27日)。
『足』

私の両肩には不可解な水死人の柩が、大磐石とのしかかっている。柩から滴る水は私の全身で汗にかわり、汗は全身をきりきり締めつける。火のないランプのような町のはずれだ。水死人の柩には私の他に、数人の亡者のような男が、取巻き或は担ぎ又は足を搦めてぶらさがり、何かボソボソ呟き合っては嬉しげにからから笑いを散らした。それから祭のような騒ぎがその間に勃った。柩の重量が急激に私の一端にかかって来た。私は危く身を建て直すと力いっぱい足を張った。その時図らずも私は私の足が空間に浮きあがるのを覚えた。それと同時に私の水理のような秩序は失われた。私は確に前進しているのだ。私はこの奇怪な行動をいかに撃破すればいいか、私が突然水死人の柩を投げ出すと、堕力が死のような苦悩と共に私を転倒せしめた。起きあがると私は一散に逃げはじめた。その時頭上で燃えあがる雲が再び私を転倒せしめた。
(「詩・現実」1930年9月)