人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

日記(2月3 ・4・5 日)

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平成24年2月3日(金)~5日(日)、5日記。18時間睡眠から起き出して子供番組を楽しみ、寝汗をシャワーで流してくる。お隣の換気扇からは豚汁を煮ている匂いが外廊下に漂い、ぼくの部屋にも入ってくる。以前の住人は非アメリカ黒人男性と日本人女性のカップルで(と表札から推定)、日曜になると昼間からセックスの嬌声と物音(壁にベッドを寄せているらしい)が不意に始まるので、やれやれと散歩に出るしかなかったものだ。
さて、どうやら年末年始からこの立春までは軽鬱で安定していたようだ。ぼくのような躁鬱病はとにかく躁に振れるのがやばい。躁と鬱が混合したり振幅するのもやばい。重い鬱もやはりやばいので、軽い鬱で多少の揺れがある程度が安全ということになる。
喜怒哀楽の感情はほとんどない。客観的にそれを感じることはできる。判断力と感覚はある。鬱状態で鈍摩するのは主に感情のようだ。感情がなければつらいこともないはずだが、やはりこれは自然な状態ではないのだろう。感覚それ自体が重荷になってくる。
それで昨日は朝7時起床だったのにディランの訳詞を一篇まとめてブログ記事にしたら強い倦怠感に襲われ、昼食を済ませて正午に昼寝の床に就いたら、気づくと晩の8時だった。
夕方あたりから夢を見ていた。ぼくはひとりで寝ているのだけれど、妻と娘たちは休暇で実家に行っているだけで、ぼくは心から愛情がこみあげてくるのを感じた。妻と娘たちの帰りが待ちきれなく感じた。
目がさめると一瞬どちらが現実か判らなくなっている自分に気づき、それからぼくはふたたび無感情に戻って現実にフタをした。晩の服薬をするとすぐにまた寝床に戻った。今度は夢は見なかった。午前零時にまた目がさめたので書いてあったブログ記事を投稿し、またすぐに眠った。土曜はアニメ「バクマン。」とドラマ「理想の息子」を楽しみにしているが、鬱で潰れてしまったらテレビどころではない。
今朝は6時に目がさめた。なんとか起き出せるくらいにはなった。「海賊戦隊ゴーカイジャー」はクライマックス寸前、「仮面ライダーフォーゼ」は中盤らしい展開、新番組「ハッピー・プリキュア」はシリーズ第8作。第1作は長女が保育園年長組、次女は3歳だったのを思い出す。それがぼくがいまだに子供番組を見ている理由だ。
幸せだった時の夢など空しいばかりだ。純粋な眠りで封じるしかない。