市島三千雄(1907-1948・新潟県生れ)が残した詩は1925年から1927年まで13篇。18歳から20歳までですべての現存作品を創作・発表したことになる。前回に書いた通りの、ほんとうに大まかな履歴しか知られていない詩人だから、作品から人となりを推測するしかない-といっても、推測してどうするのか、と投げ出してしまうような、分析的理解を拒むような作品ばかりなのだ。これは作品の出来・不出来とは関係ない。
市島の詩で驚異的なのは、日本語の文体破壊が極限まで達していて、ここまでやったのは河東碧吾桐、荻原井泉水らの自由律俳句しか思い当たらない。しかしあれは俳句という圧縮詩型だからかろうじて成立したので、もともと散文を基本に成立した口語自由詩が市島ほど崩壊しているのは類をみない。せめて散文作品でもあれば手掛かりになったのに。
『屋根と夕焼け』
うわさの中に私はいました
だまってまた自分をうわさしながら私もいました
どっとうわさが笑いました
みんな好気な眼で人気を一層あげました
色々の口が同んなじうわさをしました
黄色い石の三角のピラミッドが
赤く埃をまく口のように並んだ瓦の屋根-
無数の口とこの夕焼。
(補遺・初出不詳)
●無題(半球面の…)
半球面の正確の平ら、四角の薄い
ルシアに夕暮れらし、狼群の毛並に、水っぽいとおもう
流山はどうした北極が出来ると
この舞台装置に俳優の腰細い鼠色のヴェール風に動く写真色のルシア
流れた気流が我等を越えてゆく
この時南米の草立ち
我等は遊ばれない、離れゆく赤切の性質ばかりだが
水平線、動揺するのたしか僕最初の発見人
フローラーは灰色海水の土地に来てしまって
赤い先端の灯台の思ったより遠い沖の、昼なら暴風ばっかり
金属板に印刷した黒縁のイリュージョンの熱帯
二ツ並んだタンクの港が不思議に粉雪
気分の劇的構成の不動存在
名称のない気候
雑婚の太古の儘の部落へ歩んで行くのだった
すべてを構成する色
愚鈍児は行かない
夜の屋上に開幕を知らせに来た風鳴
漂う中に水の浸み込むかいがんに
サイレンで水平河口は夜の綱曳が
組立ての一二三の地帯、岬の空気の分間のいかめしい顔が動いた。
(「新年」1927年3月)