人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

復刻・市島三千雄全詩集(6)

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今回を含めてあと3回、3篇をご紹介すれば復刻・市島三千雄全詩集は完結する。長めの作品ばかりなので1回に1篇がせいぜいになる。これまで作品論抜きで作品のみをご紹介してきたが、その理由は前回触れた。市島作品は時代性とも関連づけられない、きわめて分析的読解を拒むものだ。その点、同じマイナー詩人でも千田光とは対照をなすと言ってよい。

●無題(空気は…)

空気は流動体で貯っている
渚が水のエキスで実に質朴なのである
虹の境目であるから水気の区別は線が引かれない
水気は蛋白質であるから固って内気である
積極的に行って見ないとわからない
内弁慶であるから遊覧地小屋の中間の位置が一番良いのである
海は側ばかり騒いでいる
中間の所は断崖から見下ろすようなのである
中間は誰も居ない
渚は水で硬くなるのである踏むと跡が乾燥する様である
渚は全体が見えて自分が立って居る所が先の様である
海に居るものは鳳五郎鳥で足ばかりである
海は音であるし光るのが音の様なのである
五月の浜は太陽の味がわからない少しも手応えが無い
人間は双眼鏡でどす黒いうるさいのである黴菌で動いている賑う音がして浪の音が無い
水気は散歩しないとわからなかったし
そして有形なのである
陸が海より上で平面でない
耳だれだから低脳の体格である
渚は平凡でシャープでないから円い
海岸は一日中、やかましい。光までが騒音しいのである
渚は一尺しか無くて
水気は人が居ると駄目なのである
中間が何時もすいている。そして谷底のようなのである
旗も小屋もないから漂白物が多いし
鴎を見ると恐ろしくなってしまうのである
草が多い様なのである
少し離れると小屋も人間も見えなくなってしまう
水気は多すぎる様なのである
僻地で何も変っている
中間は通るにすぎないし、波が異っている様なのである
全体が波の音なのである
草が大きいのである。
(「新年」1927年4月)