人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(10)アシュ・ラ・テンペル

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これで10回目(全14回で完結予定)となった70年代ジャーマン・ロック紹介。予想はしていたがフレンチ・ロック紹介のほぼ倍だ。しかも次にひかえるイタリアン・ロック(やりますよー)は数が読めない。なんの情報も残さず1枚きりの傑作を出して忽然と消えたバンドだけでも相当な数に上る。フレンチ→ジャーマン→イタリアンの順で混沌になっていくようだ。ま、いいか。やりがいがあって。

で、70年代のFM定番と言えばアシュ・ラの「ニュー・エイジ・オブ・アース」1976(画像2)からの『サン・レイン』で、雨上がりに陽射しが差して陽炎がのぼるようなさわやかインスト曲だった。アシュ・ラという名も印象的だった。阿修羅ということはあるまい(ラー=太陽)。驚くべきことにこのアルバムはほぼ全編がエレキギターの多重録音のみで作られた音楽だった。

だがこのバンドは元々は泥沼のようなヘヴィ・ロックバンド、アシュ・ラ・テンペル(Ash Ra Tempel,1971-)としてデビューした(画像1)。ギターはマニュエル・ゴッチング、ベースはハルトム・エンケ、ドラムスは後の巨匠クラウス・シュルツ。A面はアッパーな曲1曲、B面はダウナーな曲1曲という、早い話トリップ用レコード。タンジェリンやアモン・デュールに狙いは近いが、グルグルやカンのユーモアはまったくない。

この路線が第2作「シュヴィングンゲン」1972、第3作「セヴン・アップ」1972、第4作「ジョイン・イン」1972まで続き、エンケは薬物中毒から廃人となってバンドを離れる。翌年の「スターリング・ロジ」はマニュエルの恋人をアイドル歌手に見立てたポップス作品、そして次の「インヴェンションズ・オブ・エレクトリック・ギター」1975からギター多重録音による快楽音楽の追求が始まり、次作「ニュー・エイジ・オブ・アース」で完成形が出来てしまった。なので、時おりライヴはやるけれど(日本公演も行われた。東京タワー蝋人形館ジャーマン・ロックコーナーにはマニュエル人形もある)以降は5枚ほどのアルバム・リリースしかない。

だが1984年にマニュエル・ゴッチングのソロ名義でリリースされた「E2-F4」(画像3)はさらに大胆な飛躍をとげたもので、90年代になってアシッド・ハウスの原点として突然評価を高める。ぼくが好きなのは初期4作だが。