人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

療養日記・6月6日水曜・雨

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今日は雨ふりだからブログのプランでも立てよう。自分で自分に宿題出すのは面倒だが、これも在宅療法だから仕方ない。宿題さえ決まれば毎日それをコツコツやれば済む。ボブ・ディラン訳詞集や高橋新吉詩集「戯言集」分載は楽しかった。ジョン・レノン全曲集はいまいちだった。こないだ少しジャズやっていた頃の記事を載せたが、軽々しく書きたくない。
そこでユーロ・ロック3大国の残るひとつ、イタリアン・ロック紹介のプランを立てることにした。

ジャーマン・ロック全14回は一昨日書き終えた。後は載せるだけだ。その前に掲載したフレンチ・ロックは全8回で、どちらもアルバム1~3作の短命バンドを加えればあと数回は延ばせたが、あえて割愛した。初めての人には知らないバンドばかりがぞろぞろ並んだと思うが、フランス・ドイツ編ともに取り上げたのは一流グループばかりなのは保証する。群少バンドもゴマンといるんですよ。その中から本当に主要なグループを選んだところ、約分すると7対4の比率になったのだ。これは実は予想していた。からくも国際的成功をおさめたのはゴングとマグマがせいぜいで、アンジュとカトリーヌ・リベロ+アルプも国内に留まった。後は推して知るべし。

一方西ドイツのロックは最初から国際進出を目指していた。本人たちばかりでなくレコード会社も自国のアーティストを積極的に国際市場に売り込んだ、と最近気づいたばかりだ。特にクラシックの大御所からポップスまで幅広いフィリップス・レコードなどは無名バンドを強引に(多分メジャー・アーティストとの抱き合わせ契約で)国際市場に売り込んだ。ヒットしたのはアフロディティス・チャイルドの「666」くらいだったが、それで会社としては元が取れただろう。なんで売れもしないレ・オルメやアンジュやバッジーの日本盤が70年代から出回っていたかボーッと考えていてやっと判った。ドイツ、イタリアのロックバンドを多くかかえるポリドールなんかもそうだ。

そしてイタリアのロックで国際的成功したのはプレミアータ・フォルネリア・マルコーニ(画像1)しかいない。ライヴァルのバンコ・デル・ムッツォ・ソッソルコ(画像2)は国際進出失敗、さらに三大バンドのひとつと言えるアレア(画像3)はリーダー急逝により解散。だがイタリアは一発屋の宝庫なのだ。