人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(17d)ジョン・コルトレーン(ts)

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1964年4月と6月に傑作「クレッセント」を録音したコルトレーン・カルテットは、同年12月の2日間で伝説的アルバム「至上の愛」(画像1)を録音する。今回も全4曲オリジナルだがモノクロの沈鬱なジャケット(インパルスでは企画、タイトル、ジャケットはコルトレーンに決定権があった)、異様なタイトル(原題は画像参照)、見開きジャケットに長々と印刷されたコルトレーン自身の信仰告白のメッセージ、など音楽を聴く前から身構えてしまうものだった。
A面2曲、B面2曲。それぞれ「パート1」~「パート4」として「承認」「決意」「追求」「賛美」と題されている。パート1のエンディングは1回ごとに転調しながら10数回同じリフが吹かれた後に、低い声でアルバム名の「ア・ラヴ・シュプリーム」と唱えるコーラスがまた10数回続き、転調すると共にようやく曲はベースとドラムスだけを残して終る。
このアルバムの発売は翌年の秋だが、全曲演奏ライヴが65年7月のフランス公演で行われており、スタジオ盤より20分近く長い(「至上の愛~デラックス・エディション」収録)。ライヴではヴォーカルはない。「至上の愛」のライヴ演奏は後にも先にもこの時だけだったという。

前作との間に何があったかというと、64年6月末のエリック・ドルフィーの急死、そして7月のアルバート・アイラー(テナー・サックス)のニュー・ヨーク・デビューだろう。これはソニー・ロリンズにとってもショックだった。オーネット・コールマンはアルトだから「学びたい」で済んだが、ジャズの伝統的な方法など意に介さず完全な自己表現をやってのけたテナーが出現したのだ。ロリンズはモロに影響され、コルトレーンもインタビューで「アイラーのように吹きたい」と言った。

しかし実践の上ではコルトレーンはロリンズより慎重で、65年の録音から徐々に試行錯誤を始める。この年の正規録音は10枚。「至上の愛」の次作になったのが「カルテット・プレイズ」(画像2)で、「サウンド・オブ・ミュージック」挿入歌から「マイ・フェヴァリット・シングス」をヒットさせた路線で「屋根の上のヴァイオリン弾き」から「チム・チム・チェリー」を取り上げた。
また6月と10月録音の「クル・セ・ママ」(画像3)のタイトル作(19分)はアフリカ人歌手・打楽器のジュノ・ルイスがエントペ語で歌う感動曲。異色の名作。