人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

成瀬巳喜男の初期作品(1931・41)

イメージ 1

イメージ 2

筆者はYouTubeでPublic Domain(公共著作権、おおよそ制作から50年経過が目安)の映画を見るのが趣味だが、昔はミニシアターの自主上映会でもお目にかからなかった映画がてんこ盛りなのには喜びを通り越して唖然とする。見たい映画もたいして見たくない映画も同列に、途方もない本数並んでいると、何を見ても同じじゃないか、という気がしてくる。そんな時には尺数で選ぶ、という手もあり、また比較対象となる映画が思い浮かぶ、というのも近づきやすいだろう。
そこで成瀬巳喜男(1905-1969)脚本・監督の初期作品「腰弁頑張れ」1931(B/W・サイレント・スタンダード29分・画像1)、「秀子の車掌さん」1941(B/W・トーキー・スタンダード54分・画像2)を見た。日本が最悪の世相に向かっている時、日本映画は最初の黄金時代を迎えた、というのは定説になっている。

日本映画の三大巨匠というと溝口建二、黒澤明の評価が先行し、小津安次郎は70年代以降、成瀬は80年代以降にようやく国際的評価が定着した。黒澤の相対的評価が下がった分、小津・成瀬の評価は著しい。
黒澤以外の3人はフェミニズム映画という側面が現代的評価のポイントにもなっている。溝口・成瀬は一貫して女性映画を作り続けたし、小津の描き続けた家族映画も女性の視点からのものだった。
(溝口と小津は独身者で女性関係は明らかにされていない。成瀬夫人は結婚後まもなく精神障害者となり、公の場には姿を現さなかった。溝口は田中絹代、小津は原節子との事実無根のロマンスを囁かれたが、成瀬は職業的関係以外では高峰秀子を苦手としていたという)。

「腰弁頑張れ」はサラリーマンのコメディに子供たちの世界を絡めたものだが、小津の「大学は出たけれど」「生まれてはみたけれど」と同じテーマで数年早い。ただし演出は粗いが、29分では仕方ない。
「秀子の車掌さん」は一種のアイドル映画だろう。この作品は太平洋戦争開戦の年とは思えないほどまったく戦争についての言及がない(ただし不況については強調されている)。原作は井伏鱒二「おこまさん」で、作中では高峰秀子の役名はおこまさんであり、映画タイトルで「秀子の車掌さん」というのがアイドル映画の証拠になる。この映画がどれほどの人の励ましになっただろうか。