人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(26c)ジャッキー・マクリーン(as)

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「レット・フリーダム・リングス」1962の後、1967年のブルー・ノート最終作まで、マクリーンのリーダー作は2作に1作がボツになる(70年代後半には発表され、現在もCD化されているが)。これはブルー・ノートではさほど珍しくなく、録音した中から発売作を選んで、ボツ録音にもちゃんとギャラを払っている(だから後年正式発売できた)のだが、2枚に1枚というのはやはり多い。会社としてはマクリーンを買っていたから次々録音させたが、リリース・ペースからも内容からも発売に当っては絞らざるを得なかったのだろう。

「レット・フリーダム・リングス」は硬派のファンには支持されたが、マクリーンの爆発的演奏に較べてバンド全体はオーソドックスなワン・ホーン・カルテットだった。マクリーンがバンドそのもののサウンドを刷新するのは63年の「ワン・ステップ・ビヨンド」(画像1)で、グラシャン・モンカー(トロンボーン)、ボビー・ハッチャーソン(ヴィブラフォン)、そして16歳の天才ドラマー、トニー・ウィリアムズという10歳以上若い新人たちを起用したことによる。ピアノレスのヴィブラフォン入り・トロンボーン=アルト・サックス・クインテットという編成のサウンドはこれまで例のないことだった。すぐさまトニーはマイルス・デイヴィスに引き抜かれるが、同じ編成で次作「デスティネーション・アウト」とグラシャン・モンカーの「エヴォルーション」が同年に録音される。

さらに次作「イッツ・タイム」1964ではトランペットの新鋭、チャールズ・トリヴァーによって「ジャッキーズ・バッグ」での作風を先鋭化させたサウンドが実現する。また、サイドマンとしてはリー・モーガン(トランペット)作品の常連になる。
65年には一時ワン・ホーン・カルテットに戻り「ライト・ナウ!」(画像2)を録音。エリック・ドルフィー追悼曲を含むこのアルバムは構成・曲想共に「レット・フリーダム・リングス」の完成度の高い続編を目指したもの、といえる。
モンカーとの再共演「ヒプノシス」、遂にオーネット・コールマンを迎えた(だがオーネットはトランペットに徹した)「ニュー&オールド・ゴスペル」、女性詩人の朗読が入る「バウト・ソウル」、そして名曲『スウィート・ラヴ・オブ・マイン』を含む「デモンズ・ダンス」(画像3)を67年1年に録音して、マクリーンは一時引退する。