人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

乾直惠詩集「肋骨と蝶」1932(1)

乾直惠(いぬい・なおえ、1901-1958)は昭和初期のモダニズム系抒情詩人のひとり。系譜としては三好達治丸山薫ら「四季」派の詩人に近いがさらに内省的な面に特色があり、乾自身は同人に加わらなかったが「四季」の若手詩人たち(津田信夫、立原道造、阪本越郎)らにその精緻な知的抒情性を高く評価された。詩集は生前に「肋骨と蝶」1932、「花卉」1935、「海岸線」1955があり、没後に未刊詩集・遺稿詩編を含む全詩集「朝の結婚」1959が刊行された。以後詩集の復刊も選集もない。1982年に乾と親交があった上田周二氏による評伝「詩人 乾直惠」が刊行された。同書に基づき、乾最高の詩集と評される「肋骨と蝶」全24編を順次ご紹介したい。

1.『鮑(なまず)』

透明体の秋気には何一つ沈澱していなかった。私は収穫後の葡萄畑に枯枝を剪んだ。木鋏の音が空に浸透した。枝の隆起した癌腫状のところを折るごとに、白臘性の幼虫が蠕動していた。
夕暮が私に促した。
私は虫を鈎に刺し、糸を裏の小川に垂れた。指先に残る淡い触感。冷たい記憶よ! 虫は水中を水銀気泡のように光って消えた。私は緩やかな流れに沿って浮子(うき)を追い、川縁の雑草を飛び越え、飛び越え歩いて行った。
四辺に夜が羽搏いた。家畜らは従順な眼を閉じた。そして、家々の洋燈の下では、幸福が、鶫(つぐみ)の胸毛のように顫えているかに思われた。

2.『村』

村の端れの傾斜した、公衆自動電話室。破れた硝子戸に、千切れた夕雲が流れている。水車番の腰のような把手が、嗄れたその声のような呼鈴の音が、遠い岬の松籟をひびかせる。

-悪いことをした覚えはない。だのに、私は送話器の雲母の谿間から、この世で一ばん悪いことを囁いた。神様 それをお咎めなされませ! たった孤りが一ばん純(ただ)しい。たった独りが一ばん潔い。私はそれを知らなかった。

村の辻の剥げ落ちた、赤塗りの公衆自動電話室。私はいったい、誰を呼んでいたのでしょう? 壊れたその硝子戸に、丘の雛菊たちが揺れている。

(隔日掲載予定)