乾直惠は生涯喘息で苦しみ、それが晩年に結核に進行した。経済的には恵まれなかったが多くの詩人仲間の友情に恵まれ(寡作で地味な存在にもかかわらずあらゆる流派の詩人たちに愛され、経済的な援助まであった)、44歳と晩婚ながら数年越しの縁談で詩人の女性と結婚した。職業は公共関係の事務職だった。履歴の中に劇的な事件は一度もない。「四季」の詩人たちには一見優雅な抒情性の裏に熱狂的な激情があった。だが乾には一貫して自己を客観視する詩法があった。ナルシシズムからは抒情しない詩人だった。
3.『My Shadow』-This shadow may be a castle in the air,
or a sobbing flower under a lamp.
私はわたしを離れよう。時間と一しょに滑り落ちる、砂時計の小砂のように。
私はわたしを遠ざかろう。鐘に別れる余韻のように。
私はわたしを逃れよう。延びすぎた、葡萄蔓の追っかける、白い片雲のように。
私はわたしを忘れよう。空間で崩れるパイプの煙環のように。
やがて、
私はわたしを見つけるだろう。夕暮れ時の石垣の、小溝の中に。
白い、蛇の皮の千切目から、瞬きかわす星空のような私を………
(註・題辞の英文は「この影は空中の城、ランプの下ですすり泣く花」の意)
4.『光の氷花(つらら)』
僕は吸入器の天使らに慰安を求めなければならない。
垂した白いエプロンに、一ところ肺臓型の汚点(しみ)がある。
僕は規則正しく服薬しなければならない。
手のオブラートは薄い。去っていった恋人のように。
僕はレントゲン光線の前に立たせられ、宣告を受けなければならない。
光の氷花が堅固な扉を開くので。
僕はぼくの樹根のような肋骨の底深く沈み込んだ、宿命の朽葉を信じなければならない。
撮影された胸腔の内部を覗かせられながら。
そして、僕はいつも少量の食物と一しょに、砂のような僕自身を噛みしめなければならない。
齲(むしば)った大臼歯の奥の方で--
(隔日掲載)