人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

乾直惠詩集「肋骨と蝶」1932(6a)

ついに詩集は表題作『肋骨と蝶』にたどり着く。目次4頁・本文54頁のこの詩集で、ちょうど中央の26~29頁にかけて収録されたこの作品は必ずしも詩集最高の一篇ではないかもしれないが最長の散文詩であり、初出「新作家」昭和6年10月号では『肋骨を昇る蝶』が原題。蝶は喘息の暗喩。長大なので前後編に分割掲載せざるを得なかった。

11.『肋骨と蝶』(前編)

終日パイプの口ざわり冷たく、煙草は舌に苦かった。夕暮が私のすべてを支配した。
私は籐椅子に凭りかかり空を眺めていた。裂けた雲の谿間には、静かに、私の少年の日が流れて行く。……少女の前で、削りそこなった青竹とナイフの血! 私はそのとき、どうしてあの血と傷口の疼痛を、愛していた私の少女に隠してしまったか。記憶の虹は消えている。しかし仰いだ空の一角には、今なお滴るナイフの鮮血が、はっきり流れて行く。

そのとき私は、私の肋骨の階段を、一歩一歩匐い昇ってくる一匹の蝶を意識した。蝶は嗜(たしな)んで花粉を愛する。多分、今、私の肋骨の一枚一枚にも、何か芳(かんばし)い花粉が付着しているのかも知れなかった。そして、この蝶の口吻の彈絛(ぜんまい)が、あるいは頻りと、伸びたり縮んだりしているのかも知れなかった。だが、私の疲労と倦怠は、ようやく槌(すが)りついたこの脆弱な昆虫の、ほんの花蕋ほどの触感すら、容易に払いのけることさえ出来なかった。

私は立ち上がって雑木林の丘を歩き出した。私は持てあましたこの昆虫を、どこか林の下草の中に、宿らせようとしていたのだ。
やがて翌朝が訪れる。蝶はようやく、朝露に濡れそぼった叢(くさむら)の間から起き上がって、しっかと樹皮につかまりながら、梢の方へ、よちよち攀じ登って行くに違いない。木肌が体温のようにぬくもり初めたとき、やっとその可憐な黄玉色の翅々が、四辺の空気に微弱な振動をあたえながら、麗しく羽搏き顫(ふる)えるに違いない。その絹糸状の触角が、どこか遠い花園の方向を探りあてたとき、蝶は初めて朝風に乗って、空中高く飛翔し去るに違いない。そう思って、私はこの薄弱な意志に似た昆虫を、かたわらに積まれた麦藁束の中に坐ったまま、緑の絨毯へ放してやった。
私の指と指との先端には、細やかな滑石末のような鱗粉のみが残されて、ただ、すべすべと、摩擦感が冷たかった。

(次回後編掲載)