人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

乾直惠詩集「肋骨と蝶」1932(6b)

まず前回に前編3連をご紹介した散文詩『肋骨と蝶』の後編2連を掲載する。

11.『肋骨と蝶』(後編)

私は沼にそった坂道に、帰りを急いでいた。葺蘆の間から幽かに夕映が輝いて、草王や河骨の花々が、ほのかに煙を立ち上がらせていた。行々子がしきりに騒いでいた。

私は間もなく私の部屋にたどりついた。私は早速窓を開け放った。薄い月光が、いつの間にか覗きこんでいた。私は静かに洋燈の下に坐った。そのとき、私は初めて私の肩胛骨を、あのさっきの麦藁束の中へ落してきたのに気づいていた。

(解説)
前回の前置きで簡略に「蝶は喘息の暗喩」と指摘した。詩人では富永太郎立原道造の臨終がそうで、肺疾患によって肺胞中の膿が排出できないほどになり、気管が塞がれて窒息した。蝶の幻覚が体外ではなく体内なのは、胸板ではなく肋骨であることでも明らかだろう。蝶の羽ばたきのように肺の中を膿が浮遊する。原題『肋骨を昇る蝶』から形容副詞節を略したことで肋骨と蝶の対照に主題が変り、幻想性はそのままに強い肉体性も持つものになった。
乾の資質は音楽的なものではなく視覚的なもの、と上田周二氏は評伝で指摘している。この作品では本来は喘息(または気管支炎の状態)の発作を「肺の中の蝶」と秀抜な発想で作品化しながらも、視覚性・触覚性に作者の興味が置かれ、咳き込む音・蝶(膿・啖)の羽ばたく音は触れられない。その聴覚性の欠如がこの作品の特徴でもあり、音楽性重視の日本の詩に対する作者の特色もある。

12.『指』

私はその悲鳴を聞いたとき、周章(あわ)てて樋(とう)の流水を停止した。手は流圧に、小旗のように揺れた。急速度に停止された水車は、湾曲したかに思える車軸を、無器用に、前後に、半回転させながら、空虚な巨人の頭脳のように突立った。
私は小屋に駆け込んだ。咄嗟に、私は跪いて彼を抱きかかえた。彼の右掌を彩る真赤な革命。革命! ああ、あの野蛮な歯車が少年を噛んだのだ。
やがて、蒼ざめ乾燥した焦土の唇が、微かに振動し、静かに見開いた雲母の両眼に、夕闇の霧が降りて来た。

しばらくして、私は歯車に付着していた陶器製の小指を、渓流に灑(そそ)いでいた。
霧の中から、樋を溢れて落下する流水の響が、私の意識の幕に、はっきりと、あの雲母の両眼をふたたび浮き上らせた。

(隔日掲載)