人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

「伯母からの年賀状」後日談(完)

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(1)いえ、年賀状くださったこと、お気になさらないでください。ぼくも昨年父が逝去し、葬儀も済んだことを知らされなかったので各所に年賀状を出しました。伯母からの葉書で父の他界を知ったのは1月4日で、伯母は喪中のはずのぼくから年賀が来たので驚いたのでしょう。おそらく葬儀にも参列し、そこでぼくは病気に障るから葬儀には呼ばず、落ちついてから知らせること、という話を聞いたのだと思います。
訪問看護士さんの話では、看護士さんの勤めるデイケアでも、実家を離れている患者さんは肉親の死に呼ばれない・知らされないことは珍しくないようです。事情はさまざま、病気への配慮もあれば、トラブル回避もあるでしょう。ぼくも現在まだ実家から直接には知らされていないのです。
ですので、ぼくからも年賀を送ったくらいですから、いただいた年賀も喜んで拝領します。元々クリスチャンには喪中は精神的な次元ですので、新年を喜ぶのとは別の話です。さすがに知っていたら常識的に寒中見舞いにしましたが、出したからには後の祭りです(笑)。

(2)これはぼくの個人的な身辺事情でもありますが、それが精神疾患を患う方々への偏見を助長するものだとしたら、偏見を持つ側にも正当な理由がある、という論調になるでしょう。ぼくがそれをどう考えているかは、最終回で一応の結論を書きました。
最終回で13回になりましたが、書いたのは10日間ほどです。これだけ書けば言うことはない、と納得できるまで10日間かかったわけです。伯母の葉書についても、「実家と連絡とりなさいよ」と軽く促す程度のことで、実際ぼくには受け止めきれないほどにはなりませんでした。訪問看護士さんに指摘されましたが、伯母にすれば誰も知らせていないなら知らせる役割を買って出た、リスクも承知でしたためた葉書でしょう。ぼくはむしろ知らせてくれた伯母に感謝しています。
もし拘泥するとすればただひとつ、「実家からはいつ知らせてくるんだろう?」ということです。今後姻戚上でも無縁としても、父親の死を実子に知らせるのは常識的には責務になるでしょう。ただ、それを継母自身がどう考えているのは分からない。寝たきりの父を10年看護してきて、本人も病身で訃報を伝える負担が大きいのかもしれない。タイミングを逃したことが、却って連絡しづらくなっているのかもしれませんね。