人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

ジャズ事情、その他のエッセイ

(1)(36a)~(36c)もよければご覧ください。ジョニー・グリフィンはどうしても取り上げたい人だったので、アメリカ時代までに区切って紹介しました(ヨーロッパ時代と、アメリカへのカムバック以降は代表作も絞りにくく、手に入りづらいので)。グリフィンは十分大物ですけれど、ロリンズ、コルトレーンら怪物級のテナーと較べると等身大の親しみを感じます。こういうジャズマンを大事に聴きたい、というのがこの連載ジャズ記事の主旨になります。

(2)2歳上で初リーダー作が同年のエリック・ドルフィーが64年6月の急死までに10枚になり、ブッカー・アーヴィンはその時点で7枚目の「ブルース・ブック」です。調べてみると1960年デビューの新人は大体62年頃から失速し、64年以降はヨーロッパに渡る、という例が多く、アーヴィンもその例に洩れません。ベテランとほんの少しの新人しかアメリカには残れず、実力のある中堅は海外流出したわけで、背景には60年代に入ってから加速する一方のジャズ不況がありました。アーヴィンのデビュー~死去はそのままジャズの斜陽時代に重なります。そこで全8回をかけてリーダー作のほとんど、サイドマン作の3分の1を追ってみました。コルトレーンドルフィーみたいにサイドマン作や発掘録音が山ほどある人ではないので、比較的整理はしやすい作品歴でした。

(3)「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」は、ぼくは2006年のデジタル・リマスター盤で持っていますけど(手のジャケット、インナーでもジョージは長髪でヒゲ)、今はこういうジャケットなんですか(追記・伝記DVDとのこと)。たしかジョージはこれが20代最後のアルバムのはずで、うっとりするほど若いですね。「ギヴ・ミー・ラヴ」は当時7,8歳のぼくにも聴き覚えがあるほどヒットしていました。意外なのか仕方ないのかジョージやリンゴのソロ・アルバムはスルーされがちですが、やっぱりビートルズはジョンとポールだけではなかったのがよくわかります。

(4)意外と言われないことですが、作家と名のつくような人たち(美術、映像、作曲など含む)、パフォーマンスを仕事にする人たち(演劇、音楽など)の条件は、たくさんの人の話に耳を傾けられるかだと思います。それが表現の奥行きに露呈します。それはちんぴらライターのぼくですら痛切に気づかされたことでした。