人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

黒田三郎『もはやそれ以上』他

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 黒田三郎(1919-1980)の画期的な第3詩集「ひとりの女に」1954は総数11編の小詩集だが、社会批評的な「荒地」グループの中でも人道的な視点から社会主義寄りの作風で知られた詩人が突然純粋な恋愛詩集を編んだことで注目を集めた。
ご紹介するのは詩集巻頭の二編で、初々しいが次の詩集「渇いた心」1957からさらに次の「小さなユリと」1960と洗練と完成度を高めていく作風の変遷を知る後世の読者にはまだ試作の段階に見える。また、一見この詩集の狙いは単純に見えるが未完成ゆえに多様な解釈が可能であり、極端な例では西脇順三郎は詩人への私信でプルーストの「失われた時を求めて」との類似を指摘したという。
 恋愛詩集であり、ごく日常的な題材を日常的な感覚で描きながら、作品自体はどこか抽象的な静謐さに満ちている。これは計算したものではあるまい。作者自身がここでは唖然とし、驚嘆しているのだと素直に享受したい。

『それは』 黒田 三郎

それは
信仰深いあなたのお父様を
絶望の谷につき落とした
それは
あなたを自慢の種にしていた友達を
こっけいな怒りの虫にしてしまった
それは
あなたの隣人達の退屈なおしゃべりに
新しいわらいの渦をまきおこした
それは
善行と無智を積んだひとびとに
しかめっ面の競演をさせた
何というざわめきが
あなたをつつんでしまったろう
とある夕
木立をぬける風のように
何があなたを
僕の腕のなかにつれてきたのか

『もはやそれ以上』 同

もはやそれ以上何を失おうと
僕には失うものとてはなかったのだ
河に舞い落ちた一枚の木の葉のように
流れてゆくばかりであった

かつて僕は死の海をゆく船上で
ぼんやり空を眺めていたことがある
熱帯の島で狂死した友人の枕辺に
じっと坐っていたことがある

今は今で
たとえ白いビルディングの窓から
インフレの町を見下ろしているにしても
そこにどんなちがった運命があることか

運命は
屋上から身を投げる少女のように
僕の頭上に
落ちてきたのである

もんどりうって
死にもしないで
一体だれが僕を起こしてくれたのか
少女よ

そのとき
あなたがささやいたのだ
失うものを
私があなたに差上げると
 (詩集「ひとりの女に」)