Thelonious Monk(1917-1982,piano)。
次にモンクが移籍したリヴァーサイドはプレスティッジとは比較にならず、ブルーノートに迫るほどアーティストを大事にした会社だった。社長ひとりできりもりしているマイナー・レーベルだったがこの人は元々アマチュアのジャズ批評家で、ブルーノート時代からモンクを賞賛する批評を雑誌に投稿していた。リヴァーサイドを立ち上げてからモンクとの契約の機会をうかがっていたが、プレスティッジとの契約満了にモンクが背負っていた借金まで払って自分のレーベルに迎えた。リヴァーサイドの慧眼はビル・エヴァンス、ウェス・モンゴメリー、キャノンボール・アダレイを次々に成功させたことでもわかる。
モンクのリヴァーサイド移籍は55年。バド・パウエルは凋落し、トリスターノはほとんど陰棲していた。いちばん年長のモンクの時代がやっと来たのだ。
モンクの「変なオリジナル曲を演る、下手なピアニスト」というイメージを改めるために、リヴァーサイドはまず「普通の」ピアノ・トリオ・アルバムを2枚制作する。
Plays Duke Ellington(画像1)55.7.21&27
The Unique Thelonious Monk(画像2)56.3.17,4.3
-がそれで、「普通」といってもデューク・エリントン作品集の前者、スタンダード曲集の後者とも出来は悪くなく、個性も十分出ている。世評やセールスも良かった。そこでリヴァーサイドは本格的なクインテット作品を制作する。これは当時としてはジャズの最先端を行く、驚くべきアルバムになった。
Brilliant Corners(画像3)56.10.9,12.7
-は同年のチャールズ・ミンガス「直立猿人」や「ジミー・ジュフリー3」、ソニー・ロリンズ「サキソフォン・コロッサス」と並びモダン・ジャズの一里塚というべき作品で、ミンガス作品と共に複雑怪奇を極めながら、圧倒的な迫力と説得力を持つ。新曲3曲'Brilliant Corners','Ba-Lue Boliver Ba-Lues-Are','Pannonica',再演'I Surrender,Dear','Bemsha Swing'が見事な統率力で演奏される。これをモンクの最高傑作とする人も多い。