人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

つばめの季節

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説明不要だろう。画像の通り、駅前郵便局の玄関口の庇につばめが巣を作っているのだ。画像上・中は今年の写真で、画像下は去年つばめが巣立った後に掲示されていた貼り紙を撮しておいたもの。
一昨年には近隣でつばめが巣づくりしているお店が他にも三軒あったが、この二年で改装してつばめが巣を作れない構造にしてしまった。昔からつばめが巣づくりする家は縁起がいい、お店なら商売繁盛とされているのにもったいないことをするものだ。もっとも、つばめの落とし物の掃除はわずらわしいから(つばめにかぎらず鳥の糞ほど厄介な汚物はない)縁起をかつぐより合理的に寄せつけなくする気持はわかる。

ぼくは生れ育った父の勤め先の社員家族寮につばめが巣づくりしていたから、毎年のつばめの飛来と巣づくり・子育て、巣立ちが楽しみだった。つばめは人間を喜ばせるつもりなどまったくなく、神さまに創られた通りに生きている。
ぼくは独房に入れられていた時、五階という建物の高さがあんなに地上から遠く感じたことはなかった。その時の俳句がある。

・五階まで虫・蝙蝠も飛翔せず
・逆光に鳥影走る錯視かな
・ラジコンよム所の夏空飛翔せよ

三句目は石川啄木の『飛行機』の、「見よ、今日も、あの蒼空に/高く飛行機の飛べるを」だろう。それをいえば二句目の「鳥影」は啄木の長編小説のタイトルでもある。もちろんそれは後で気づいた。
そういえば、中学校の国語の課題で初めて詠んだ俳句もこんなものだった。

・つばくらめ巣もなく帰る庇かな(昭和52年)

中学一年生相応に生意気な発想の句でつばめの擬人化と中七の暗喩がくどいが、ぼくはすでに乱読家だったから、現代俳句の古典として著名な次の二句に接していて、そこからひと工夫したとも考えられる。

・方丈の大庇より春の蝶(高野素十・昭和2年)
・海に出て木枯帰るところなし(山口誓子・昭和22年)

そこまで考えて先行作品への挑戦として書いたなら、この少年もなかなかなのだが、残念ながらつい最近まで気づかなかった。それでもクラスで俳句の課題の一等賞だったから、国語の先生も類句との近似には気づかなかったか、気づいても減点にはしなかったのだろう。
ぼくは鳥には尊敬イメージがあるのだ。人間のかなわない気品が、鳥にはある。