人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

(補7a)エルモ・ホープ(p)

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Elmo Hope(1923-1967,piano)。
不遇バップ・ピアニスト、エルモ・ホープは幼馴染みのバド・パウエルを追ってデビューしバドとほぼ同年に亡くなるまで活動を続けたがまるで評価されなかった。53年~66年までに20枚のアルバムがあり、うちリーダー作は13枚だから必ずしも寡作ではないのだが、アメリカの音楽サイトでも「優れた作曲家だがスタンダードになった曲はない」とされる通り現在も評価はパッとしない。それでも全作品がCD化されているのだから一応心ある少数のリスナーには聴かれているのだ。

ホープのデビューはR&Bバンドのジョー・モリス楽団で48年と早く、同僚には後のジャズ界で名をあげるメンバーがぞろぞろいた。彼らがジャズ界に進出する中でホープは52年までR&Bバンドに残留し、ようやく念願のジャズ進出がかなったのが、
Clifford Brown:Memorial Album(画像1)53.6.9
-だった。これはブラウンにとっても初リーダー作で(ルー・ドナルドソンと共同リーダーだが)、ホープ参加の6曲中3曲がホープのオリジナルで、初期から作曲手腕を買われていたのがわかる。内容は溌剌としたビ・バップで、バンドの一体感も素晴らしい。作曲はバド、演奏はモンクというホープの折衷的スタイルは既に出来上がっている。

続く、
Trio And Quintet(画像)53.6.18/54.5.9
-はタイトル通りトリオとクインテットによる2枚の10インチ・アルバムを併せたもので前者は9曲中6曲、後者は全6曲がホープのオリジナル。ブラウンのセッションでブルーノート社もモンク、バドに次いでホープの作曲の才を認めたのだろう。55年のニコルスよりもホープを優先させたことになる。このトリオとクインテットも素晴らしい。だが当時のモダン・ジャズは才能の激戦区で、相対的にホープは埋もれてしまったということだろう。

その理由が何となくわかるのは、
Sonny Rollins:Moving Out(画像3)54.8.14
-で、1曲だけ追加されたモンク参加曲のせいでジャケットにも名前がない通り全曲ロリンズのオリジナルだとホープの影は薄い。自作曲でないと存在感がなくなってしまうのだ。事実、ホープのサイドマン参加作はこの後ほとんどなくなる。