人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

続・離婚のいきさつ(7)

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ぼくが体をこわし、仕事は断念して家事専業になり、精神疾患の兆候が現れたのもこの時期になる。気力で持っていたのは次女の看護や入院中だけだろう。ぼく自身が食欲もなく、通院点滴でどうにかしていた。
それまでは気力で保っていたが、翌週から一か月は育児と家事、通院をなんとかこなしながらほとんど寝込んでいた。かかりつけの内科の先生は小児科の奥さんからわが家の事情は聞いていたので、点滴に加えてエンシュア・リキッドを処方してくれた。

これだけ毎月の仕事を断っていれば依頼してくる編集者もいなくなる。事実、長女がまだ乳児のうちにぼくはレギュラーの仕事をほとんど失っていた。土壇場で子どもの看病のためキャンセルしていたのでは、当然レギュラーの座から降ろされても仕方ない。
次女が生まれて、やはり乳児のうちは気管支炎で、長女・次女とも保育園に通わせていたが、長女は気管支炎は成長とともに治ったものの、保育園という集団生活だから長女と次女で交互に感染症に患っていた。育児・家事・看病に加えてぼく自身が体をこわし、それでもライターの看板は下していなかったが、散発的な依頼すらなくなった。

ぼくは自分から営業もしなくなった。納期を守れるか確約できないライターが仕事を続けていくことはできない。郵政民営化への移行期になり、妻は育児も家事も一切分担するゆとりはなくなった。
妻にはぼくがライターの仕事を辞めて主夫に徹したことに不満があった。
「今そうしたら共倒れになるよ」とぼくは言った。ぼくは娘たちの看病を重ねて気管支喘息になり、いつも肺から膿を吐き出していた-それが妻には理解できなかった。彼女は彼女で懸命に働いているので、育児も家事も看病もぼくが一切をやっていても、本来ならぼくも共働きできるはずなのに、という不満がぬぐえなかったのだ。

彼女が育児も家事も看病も分担してくれる妻なら、ぼくもそこそこ調整して仕事を続けることができたかもしれない。家事ができない女だというのはわかっていた。だが、家事を夫に丸投げするそのままで、育児や看病に関しても丸投げして分担しないことになるとは予想ができなかった。彼女はぼくが、ギリギリのところでなんとかこなしている-とは思っていなかったのだ。
ここから離婚までは、もう道はひと筋だった。パニック発作の発症が始まった。