人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

通院日記・7月8日(月)真夏日

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昨日の記事に補足しておきたい。このくだりだ。引用しておこう。
「ぼくの長女の七夕の願いは、保育園の頃から毎年、『みんなのねがいがかないますように』だった。
『だってお願いがかなわない人がいたらかわいそうでしょ』-教会に通わせたわけでもないのに父親のクリスチャン育ちの面を受け継いだような娘だった」

もう長女は来春高校生だからそこまで素朴ではないと思うが、もし娘自身が幼い頃の願いを憶えているならば、今なら父親としてはっきり言える。「その願いは良くないよ」と。
「みんなの願いがぶつかりあって、みんなが不幸になるだけだよ。それよりも、自分の幸せのための願いをしっかり考えなさい。自分が幸せになることで、みんなを幸せにすることができるような願いを」
次の誕生日で15歳になる娘には、まだこれは難しいだろうか。

こんな当たり前の話ができるようになる前に、娘とぼくは別々の戸籍になり、今ではまったく連絡も途絶えているが、娘にとっておれはどんな父親だったのだろう、と考える時は今でもある。

大学の一般教養で受講した発達心理学で習ったことだが、家庭内では社会的な基準より緩い「甘え」が許容される。逆に言えばそれを許容しない家庭は家庭としては十分に機能していない-ということになる。
「父親=家長」という概念は60年代に崩れた、との定説もある。家長制度が持続していた時代でも不幸な家庭は不幸だった。「幸せな家庭はどれも似通っているが」とはトルストイの「アンナ・カレーニナ」の書き出しだ-「不幸な家庭はどこもさまざまである」。

そして公園には誰もいない-真昼間だというのに。
今日は月曜だから本来はメンタル・クリニックの通院日だった。昨夜はブログを更新して午前一時までには寝ついた。この数日で乱れていた生活リズムも回復している。日中に倦怠感や眠気で長い昼寝をして、そのせいで夜の眠りが妨げられる、という悪循環もなく、睡眠障害が回復したので、時間はややまちまちだが一日三食の食事を楽しんでもいる。

そこで睡眠障害の改善のために切り替えられた睡眠導入剤が、体調の回復した脳神経には効果が効きすぎたようだ。クリニックまでは徒歩二分なのだが、予約が10時なのに起きたら11時半なのでは仕方ない。処方だけもらいに行った。
それでも一応通院日記ではある。寛恕されたい。