人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

小説の絶対零度(5)デ・フォレ

ルイ=レネ・デ・フォレ(1918-2000、フランス)は生涯に長編小説「乞食たち」43、「おしゃべり」46と短編集「子供部屋」60のみの寡作家だったが生前のバタイユブランショが絶賛したほとんど唯一の同時代作家で、晩年は認知度も高まり芸術院会員入りするなど伝説的な名声を博した。ご紹介する「おしゃべり」はアルベール・カミュ(1913-1960)なら「異邦人」42と「転落」56の中間に位置する作品だろう。
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ぼくはよく鏡を眺める。自分の眼差しに悲愴さを見出だすのが、いつもぼくの最大の望みだったから。恋に眼がくらんだり、ぼくを引き留めるために、思ってもいないことを言う女より、やっと聞き取れるくらいおどおどした慎ましさで、あなたは他の男とは違うわと言ってくれる女の方が好きだった。実際、ぼくの一番の魅力はぼくの奇矯さだろうと長年思い込んでいた。他人とは違うというこの感覚、だがそんな自惚れも薄れてきた今は、自分があらゆる点で平凡な男だと気づかずにはいられない。これほど堪え難い真実を、ようやく今頃知る。それはまだいい。しかもこうして他人にまで知らせるとは!だけど実は、そんな困惑には、公衆の興味を惹く可能性などまるでないのに、敢えて自分の欠陥を晒す時に感じるあの微かな苦い快感が秘かに混じっている。ぼくが自己を告白しようと企てたのは、そんな少し病的な快感を味わうためだろうか、たぶんそう尋ねられるだろう。だとしたらぼくは微笑しながら、こう答えるだろう、ぼくはあまり告白癖がないのを誇りに思う、と。友人たちはぼくが沈黙そのものだと言う。一旦秘密を守ろうと決めたらぼくは決して打ち明けない。それどころか、彼らはどうしても心を開けないぼくの性質を気の毒な、かなり重大な欠点と誰もが見ているのだ、とここまで書いてくるとぼくは堪らなくなってこう書く-実はぼくは陰気な虚栄心から周囲のそんな見解を利用してやろうと企んでいた、つまり告白ができない性格に苦しむふりを装い、または単にその苦悩を誇張してみせ、まるでぼくが実はなにか大きな秘密を抱え込んでいるが、それが特殊で私事に亘るため、絶対白状できないと思い込み、そのため秘密を打ち明けて楽になることもできず苦しんでいたのだと思わせれば、周囲の見解を利用できると考えていたのだ-そんなことを書き添えて、再び嗜虐的な快感を味わうわけだ。
(「おしゃべり」46)