人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

#18.承前『ウェル・ユー・ニードント』

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ほとんどここに来ているプレイヤーは大学のジャズ研連中という中で、ぼくが猛烈に違和感を感じたのは、楽しく面白い演奏を分かちあおう、といった自由な雰囲気がまるでないことだ。彼らの使うジャーゴン(身内にしか通じない隠語や略語)も文脈から意味はわかるが、本当に洗練された感受性の人は流行語やジャーゴンは使わない。

ジャズとは本来自由であるべき音楽なのに、彼らの間ではジャズは仲間内の上下関係を作る道具なのだ。連中は-これはクラシック由来なのだが、わざわざ学年をドイツ語読みでアー年、ベー年という具合に呼んでいたが、学年ごとにここまで、と、レパートリーが制限される。演奏もマニュアル化されて、ここまでは覚えろ(それはまあいい)、それ以上はやるな(なぜ?)とアー年からデー年まで階層がある。レパートリーもそれに応じた段階式という仕組みだ。

「だから、見ず知らずのぼくがセロニアス・モンクの曲やりましょう、なんて言うと敵意に囲まれるわけです。生意気な奴、ということでしょうね」
「それは嫌ですね」と訪問看護のアベさんは言って、「思い出すと不愉快じゃないですか?」
「いや、やれる時にやっておいて良かったな、と思いますよ。陰口も敵意も気にせずしょっちゅう通ってたくらいだし」
「そういうふうに思えるなら、いいことですね」
「褒められる経験も、くさされる経験も、どちらも必要だったんですよ」

彼らの多くは吹奏楽部や軽音楽部から上がってきて、楽器ができるからジャズを始めたので、階層的な人間関係や、段階式なレパートリー習得に抵抗感がない、というよりそういうものがジャズだと思っている。そうした上意下達の累積が、大学のジャズ研連中のジャズ観をなしている。
「ジャズクラブによっても違うけど、ああいうジャズ研のたまり場はいちばん違和感ありましたね。うちのバンドはぼくが採譜してたけど、彼らはみんなこの本(画像)を持ってた。モンクだって載ってるのにね」
「見せてください」アベさんはページをぱらぱらめくると「えーっ!?一曲あたりこれだけなんですか?」
「それが歌で言えば一番に当たるわけです。あとはアドリブをずっと続けて、もういちど一番を演っておしまい」
「ジャズってそんな無茶苦茶なものなんですか?」
「そうですよ」無茶苦茶でもないのだが、ぼくは肯定した。