人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

#20.承前『ウェル・ユー・ニードント』

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「佐伯さんの連れてくる人は全然駄目か、すごいかで中間がいないじゃないですか」
と守屋くんに言われたことがある。理由ははっきりしている。全然駄目なのはメンバー募集に応募してきた人で、すごい腕前の人はぼくがジャムセッションで声をかけて誘った人たちだ。ピットインでセッション・マスターをやっていたピアノの田山さんはうちのバンドを気に入ってくれたが、あまりに格上すぎて、うちのバンドの方が畏縮してしまって駄目だった。

トランペットの山本さんも田山さんの妹弟子格といった人で、たまに遊びに来てはもらえるがご主人もジャズマンで、まだ赤ちゃんのお子さんがいてたこ焼き屋のバイトもある、という多忙な人だった。「旦那とは音楽性が全然合わないから一緒に演奏しないのよ」と笑っていた。ピットインでは田山さんの助手をしていて、ジャムセッションから選抜バンドを組ませる仕事もしていた。山本さんはぼくのモンク演奏を褒めてくれたが、やはり本質的にはぼくの演奏は未熟で、本流から逸脱しすぎていると感じたようだった。
山本さんには、ライヴの時は、手書きのチラシを作ってもらった。お礼はお米10kg。チラシには「はじめ人間ギャートルズ」風のイラストが添えてあった。「あなたたちのはそういうジャズでしょ?」「ギャートルズ」のエンディング・テーマ『やつらの足音のバラード』をうちのバンドが取り上げたのは、あくまで偶然の一致だった。
フルネームで書くとアマゾンで山本さんのCDが検索できてしまい、うちのバンドとの親交は迷惑だから名字しか書かない。次の人もそう。

すごい人その三はピアノの西島さんで、ピットインのジャムセッションで鮮やかなプレイをしていた。西島さんはKと守屋くんと同い歳で、神戸でプロ活動していたがCDデビューを機に上京してきたばかりだった。スタイルは幅広く、トリスターノからジャズ・ファンク的まで自在だった。
彼女は当然うちのバンドで納まる器ではなかったが、「東京でできた初めての友達だもの」と準レギュラーになってくれた。大学で助手を勤めるご主人は神戸だから、音楽活動のために別居までしているのだ。
バンド内でデュオ練習を実験したことがある。花ちゃんのギターと西島さんで、『ウェル・ユー・ニードント』を決めた時はすごかった。ジム・ホールビル・エヴァンスのデュオ「アンダーカレント」にひけをとらなかった。