これまでに「小説の絶対零度」として取り上げた作家たちの源泉は、すべてジェラール・ド・ネルヴァル(1808-1855、フランス)に行きつく。ボードレールやプルーストもネルヴァルの感化なしにはあれほど革新的な創作は不可能だっただろう。自己の精神疾患と、恋愛経験の苦悩を描いた遺作「オーレリア」1855は街路で縊死した同月に雑誌掲載された。
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夢は第二の人生なのだ。私は目に見えない世界と私たちを隔てる、象牙または角でできた扉を、戦慄せずに潜ることができなかった。眠りの最初の数瞬は死の映像だろう。どんよりと曇ったような麻痺が私たちの思考を捕える。しかも私たちは自我の変容するその瞬間を正確には捉えられないのだ。それは薄暗い地下室なのだが、次第に明るさを増すにつれ、煉獄にいる人々の重苦しい動きが闇と夜から解き放されれ、蒼白く浮かび上がってくる。そして舞台の上で、一筋の新たな光が亡霊たちを照し出して彼らに演技させる。このようにして精霊たちの世界が私たちの前に開かれる。
スウェーデンボルグはこの幻影を「メモラビリア」と呼んでいたが、彼はそれを睡眠より夢想の際に見る方が多かった。アプレイウスの「黄金のろば」やダンテの「神曲」も人間の魂に関する研究の詩的な模範だった。私もこれから彼らにならって、常に私の精神の中だけに起きた長期に渡る病気の間に、覚えている印象の数々を書いておきたい。なお、どうして私が病気という言葉を使うのか自分でもわからないのだ。それは私自身はその時ほど自分が快調に思える時はなく、体力と活気が倍加したようにも感じて、自分がすべてを知り理解できるようにも思われ、想像力が果てしない悦楽を私にもたらしてくれた。だから人々が理性と呼ぶものを取り戻したら、この楽しみを失って後悔はしないだろうか?…
この私の「新生」は、二つの様相を呈した。その一つは、私が長い間愛してきた一人の女性-彼女を後に私はオーレリアと呼ぶのだがその彼女を、私は失ってしまったのだった。愛する女性から断罪され、もはや許しを期待できないほどの過ちを犯してしまった私は、ただひたすら野卑な陶酔に身を投じるしかなかった。「お前をもう愛していない女をこんなにプラトニックに愛するなんて気違い沙汰だ」と、自分に言い聞かせた。「彼女を忘れるために別の色事に耽ろう」
(「オーレリア、または夢と人生」1855)