ぼくは大学生時代年間300本~400本の映画を観ていた。貧乏大学生の身でこれだけの数の映画を観られたのは、シネクラブの自主上映は入場料が安かったからだ。日仏学院やアテネ・フランセ文化センターは皆勤賞だった。近代美術館フィルムセンターも特集上映があれば観てきたし、イタリア文化会館、東ドイツ(!)文化センター、ブリティッシュ・インスティテュートでも日本未公開映画をどっさり観られた。
日本未公開映画で嬉しかったのは、フランスの埋もれたヌーヴェル・ヴァーグ映画(ジャック・ロジェ「アデュー・フィリピーヌ」やジョルジュ・フランジュの「壁にぶつけた頭」、それに当時はエリック・ロメールやジャック・リヴェットも正式な日本公開作品がなかった)を観て、ゴダールやトリュフォー、シャブロル以外の作品を知ることができたことだ。それらはどれもわくわくするほど未知の世界だった。
もっと共感できたのはヌーヴェル・ヴァーグの原点というべきジャン・ルノワールの「トニ」や、ルノワールの弟子ジャン・ヴィゴの「新学期・操行ゼロ」「アタラント号」などの戦前作品だったが、さらに日本ではまったく未紹介だった70年代のヌーヴェル・ヴァーグの後継者たちの作品には心がわしづかみにされるようだった。それらは60年代ヌーヴェル・ヴァーグの楽観性はなく、行き場を失ったような貧乏くささがあった。後にこの人たちも妥協なしに大衆的ヒット作を撮れるようになるのだが。
クロード・ミレール「いちばん上手い歩き方」(後に「なまいきシャルロット」等)はまだトリュフォーの弟子らしい軽快さがあったが、ブルーノ・ニュイッテン「壁戸棚の子供たち」は子供の頃かくれんぼ中に母親に自殺された兄妹が再会する話で、兄はホームレスになっており、妹はビジネスしか頭にない実業家の妻になっている。事件は何も起らず、再び兄は放浪していく。この監督は後に「カミーユ・クローデル」を撮る。
「ポネット」の監督ジャック・ドワイヨンの処女作、「頭の中に指」も似たような話で、その日暮しをしている親友二人のアパートに北欧出身のヒッピー少女が転がりこむ。三人で毎日遊び暮すが、突然少女は出ていってしまう。
ジャン・ユシュターシュの「ママと娼婦」は二股男がどちらの女性にも見放されるのを3時間45分かけて描く。監督はその後ピストル自殺した。究極の一本だろう。