人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

短歌と俳句(18)石原吉郎17

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「短歌と俳句」として詩人石原吉郎(1915-1977)の短歌と俳句を見る場合、その青春期までに短歌と俳句の世界ではどのような動向があったか検討する必要がある。石原の経歴は五年間の軍隊生活と八年間の俘虜生活があり(1941年~1953年)帰国の翌54年には早くも商業詩誌デビューしたから、ほとんど1941年から時間を跳躍してきた(または、日本本土とは違う時間を生きた)詩人だった。

日本の現代俳句は正岡子規高浜虚子がすべての源流で、大正初期の虚子門下からの反虚子俳人は既に紹介したが、虚子と並び子規の二大弟子だった河東碧梧桐の系譜はより自由度の高い俳句を目指して自由律俳句に行き着く。中塚一碧楼、荻原井泉水、尾崎放哉、種田山頭火を順に見ると、

・赤い椿白い椿と落ちにけり(碧梧桐)
・烏賊に触るゝ指先や春行くこころ(一碧楼)
・空を歩む朗朗と月ひとり(井泉水)
・咳をしても一人(放哉)
・うしろすがたのしぐれてゆくか(山頭火)

と、俳句形式としては解体していく。一方、昭和年代に虚子門下から結果的に脱虚子派として離脱した俳人として水原秋桜子山口誓子、日野草城、加藤楸邨中村草田男らがおり、

・冬菊のまとふはおのがひかりのみ(秋桜子)
・夏の河赤き鉄鎖のはし浸る(誓子)
・ものの種子にぎればいのちひしめける(草城)
・鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる(楸邨)
・万緑の中や吾子の歯生え初むる(草田男)

秋桜子は「啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々」、誓子は「ピストルがプールの硬き面にひびき」、草城は「春の灯や女は持たぬのどぼとけ」、楸邨は「寒雷やびりりびりりと真夜の玻璃」、草田男は「金魚手向けん肉屋の鉤に彼奴を吊り」がより現代俳句のモダニズムに近いかもしれない。前回紹介した昭和10年代の新興俳句の有力俳人五人(高屋窓秋、篠原鳳作、渡辺白泉、西東三鬼、富沢赤黄男)と女性俳人二人(三橋鷹女、藤木清子)の句を見る。

・ちるさくら海あをければ海へちる(窓秋)
・赤ん坊の蹠まつかに泣きじやくる(鳳作)
・鶏たちにカンナは見えぬかもしれぬ(白泉)
・右の眼に大河左の眼に騎兵(三鬼)
・蝶墜ちて大音響の結氷期(赤黄男)
・みんな夢雪割草が咲いたのね(鷹女)
・ひとりゐて刃物のごとき昼とおもふ(清子)

次回は同時期の短歌の動向を見たい。