人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

通院日記12月2日(月)晴れ

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クリスチャンにとっては洗礼記念日は第二の誕生日だが、中学二年生(1978年)の九月の第二日曜日だったかな、としか憶えがない。むしろ一生忘れないだろうというのが入獄(2007年5月23日)、今のところ最後の精神入院(2010年12月1日)、そして今ブログ掲載しているアルコール科への学習入院(2010年3月2日)になりそうだ。精神病院では名前で呼ばれたが、獄中では(アポリネールの軍隊経験の詩にあるように)人間ではなくただの番号、3036番だった。学歴や仕事より、結婚(育児、失職、発症、離婚)から入獄、療養(障害認定による生保)、入院などに絡む日付の方が忘れられない。アル中患者は二年以内に九割以上が再入院、という身にはならなかったが、同期入院の人たちのほぼ全員がアル中に戻った、または肝硬変から癌に進行して他界した、という消息は聞いた。

アルコール科は5月20に退院したのだが、その年の12月に別の総合病院の精神病棟に入院したのはアルコールが原因ではなく、入院中に親しかった既婚の女性患者と退院後に不倫関係に陥り躁鬱症状が急激に悪化したからだった。12月だが暖かかった日で、セーターだけで入院した記憶が鮮明にある。あれは決して自分から望んだことではなく、躁状態からくる幻覚や妄想もあの時ほど悪化したことはない。彼女との関係の清算は退院後まで持ち越して、たがいに幻滅だけが残ったが、今では避けられなかった経験として思い出せる。彼女はアルコールに頼れなくなって恋人を求めた。退院後に関係が再燃した頃には彼女は再びアル中に戻っていた。おそらく今でもアルコール依存症のままだろう。だがそれはもう責任の持てないことだ。

三年前が遠く思える今日はメンタル・クリニックの通院日だった。訪問看護がアベさんからコイケさんに引き継ぎになる件と、三年前の最後の入院以来の回復具合が軽く話題になる。やっとアルコール依存症の疑いも晴れた。
薬局に処方箋を出し、すぐ前の不動産屋に風呂場の蛇口の水漏れの修理を頼みに行く。気づいてみるとヘッドウォーマーがない。クリニックに行くと受付嬢に指摘され、首まで下していたのに気づいて笑いあう。
水道屋のおじさんすぐ来て風呂場とトイレ、台所の蛇口ひととおり修理とメンテナンスしていってくれる。ルー・リード逝去後すぐに注文したCDやっと届く。