最近はほとんど夢をみませんが、久しぶりに短い昼寝の間に夢を見ました。それはたぶん臨終の時に見るような、瞬時に人生を圧縮したものでした。
忘れていた悲しいことまで次々と思い出した夢で、まるでこれまでずっと悲しいことばかりを生きてきたような気がしました。娘たちを喜ばせてあげられなかったこと、交際してきた女性たちを悲しませてきたことや、母の急死した数日後にあまりに家にいるのがつらくて夜に外に出たら粉雪が舞っていて、近所の公園を通りかかると生後一か月くらいの子猫が鳴いていた。拾って家に戻ったら捨ててこいと父に怒鳴られて、元いた公園に戻してきた。自分はこの子猫なんだ、と思いました。こんなことは、ずっと忘れていたのに。
獄中で気が変になりながらここから出たら娘たちに子猫を買ってあげよう、今まで飼ったことがあるのは一度春先に長女が保育園の遠足で採ってきたおたまじゃくしだけで、後ろ足が生えてきたら近所の小川に放した。今は分譲マンションだから子猫だって飼える、娘たちはとても喜んでくれるだろう。と、もう民事訴訟で離婚が成立しているのを知らされ、同意書に捺印させられているのに、熱に浮かされたように考えていたのを思い出しました…ここを出たら娘たちと子猫を飼うんだとくり返し思い詰めて、もう実現不可能だとはわかっているはずなのに。その時唯一求めていた幸せがそれだったのでしょう。そしてずっと求めてきた幸せは叶えられないものばかりだった。
そういう夢でした。
療養専念以外に何の楽しみも喜びもない生活ですが、それでも獄中や入院にはない自由と孤独だけはある。でも、それだけじゃ足りない。喜怒哀楽のまったくない申し分のない環境であるはずで、むしろそれは病状の悪化を予防する条件なのに。
これまで別れてきた女性たちは、みんな最終的に愛されるのを望まなくなった。過去に経験してきた愛とは結局そんなにはかないものばかりだった。そんな経験は結局無に等しい。
たぶん、両親や(別れた)妻にこぞって警察に売られた経験が内面的な最大の傷になっていて、そのいきさつを思い出したことで次々とよみがえってきたのだと思います。弁護士との接見で妻の署名(まだ名字が佐伯のままの段階での)の記された告訴状を見た後待合室で10分間泣きました。そして今でもまだ泣き止んでいないのかもしれません。