合衆国政府がフロンティア=未開拓地の消滅を宣言するのは1890年ですが、明治で言えば23年、森鴎外がドイツ留学から帰国二年を経て『舞姫』を発表した年に当ります。この年のアメリカ小説にはハウエルズ『運命の成り行き』、ジェイムズ『悲劇の詩神』があり、前年のトウェイン『アーサー王宮廷のヤンキー』と併せて国際的なリアリズムの潮流との乖離がいよいよ目立ってきた頃でした。
90年代の初期自然主義小説が稚拙ながらも新鮮に受け入れられたのは、そのように中堅~大家に相当する作家たちが行き詰まりを見せていたからで、トウェインはより辛辣な風刺的作品に向かい、ジェイムズはイギリスに帰化して特異な心理小説に新機軸を開きます。ですがそれはトウェインやジェイムズならではの方法ですので新進作家には自然主義自体が挑戦でした。
結果的にはクレインもノリスもロンドンも興味深くはあれ、自然主義小説としては失敗しましたが、唯一ドライサーだけが自然主義である前にアメリカ文学史初のリアリズム小説を試みて成功したのです。ドライサーに対応する日本の小説家は島崎藤村を置いていないでしょう。
藤村の『破戒』から日本ではリアリズム≧自然主義は長編小説の基本的作法になりましたが、ドライサーがようやく認められたのは第三作『巨人』1914からで、藤村が自然主義小説の時代を築いたようにはいかず、ドライサーはアメリカでは孤立した存在でした。
アメリカに自然主義が浸透したのはシンクレア・ルイスのベストセラー『本町通り』と『バビット』で、また批評家と若手作家に注目されたアンダソン『ワインズバーク・オハイオ』でした。ただしそこでは自然主義はすでに解体途中だったのです。