人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

偽ムーミン谷のレストラン(38)

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どこまで話したっけ?そうだ、この本についてだ。私も面食らったさ。だが私がAmazon楽天で検索してみても、ムーミン谷レストランの歴史なんて本の出品はない。つまりムーミン谷立図書館にこれが一冊あるだけなのかもしれん。だとすれば、この本の著者は外部の好事家ではなく、われわれの谷の住民なのはほぼ確実だろう。
お兄さまはときどき難しい言葉をお使いになるわね。外部の何ですって?
こうずか、好事家だよ。物好きのことだ。そうかお前は自分の名前や固有名詞を少し読めるだけだったな。ろくに言葉を知らなくても仕方ない。
これでもライトノベルくらいなら読めるのよ。
ノベルじゃなくてノヴェルだろ?片腹痛いわ。そんなものは昔はジュヴナイルと呼んだのだ。だいたい新語とは見せかけだけ新しくして旧態依然としたものを売りつけるために捏造されるものさ。ライトノベルだの自己啓発書だのは自分の知性に自信がない者が読むものだ。そういう輩はたとえ学習しても内的必然を欠いた理論家にしかなれないばかりか、おのれの内発性の欠如を学問的態度と思い込むから話にならん。
・お前が言えた義理かよ
…でも知らないことは読めない、なんていう本があるのはおかしいわ。だって本は知らないことを知るためにあるものでしょう?
そう、お前がそういうのももっともだ。確かに読者にとっては本とは知らないことを知るためのものだ。だが著者にとってはどうだろうか。読者は自分が手に取る本の筆者は書いてあることを知り尽くしている、と思って読むわけだ。ここまではいいね?
ええ、そう思います。
では著者にとってその本はというと、単に自分の知っていること、理解していることを読者に伝えるように噛み砕いて、または圧縮して述べたのにすぎない。すると著者にとってはそれは本としての意味を失う。なにしろ知らないことを教えてはくれないのだからな。だから―
おそらく著者お手製の、世界に唯一のこの本は、その点で読者にとっても著者にとっても公平なのではないか。つまり筆者を含めあらゆる読者に公平であるためには、知っていることしか読めないというのが唯一の条件ではなかろうか。
でもお兄さま、これがそういう本なら、いったいなんの役に立つの?
そうだな、とスノークは言いました、われわれはまだレストランとはなにか知らないということがわかる。