人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

文学史知ったかぶり(17)

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セオドア・ドライサー『巨人』1914と『アメリカの悲劇』1925、国際的ベストセラーになったシンクレア・ルイス『本町通り』1920と『バビット』1922、シャーウッド・アンダソン『ワインズバーク・オハイオ』1919と『貧乏白人』1920はクレイン、ノリス、ロンドンの初期自然主義小説とは面目を一新した本格的なリアリズム作品でしたが、それはクレインらの自然主義はこれまでにない実験でしたが、ドライサーらは年齢的にはクレインらと同世代ながらいわゆる晩成型で、クレインらが夭逝した後に本格的な作家活動に入ったのです。ドライサーらはクレインらが挫折した地点から成熟した作品を生み出せる立場にいました。
そして穏当な作風の女流作家の全盛期が過ぎると、一躍現代アメリカ社会の実相を描いた小説家として、それまでの過小評価が手の平を返したように巨匠の座につきました。ただしそれは新しい文学の台頭に後押しされたとも言えます。

ルイスがアメリカ初のノーベル文学賞を45歳の最年少で受賞した1930年を区切りとすると、1920年アメリカの新しい文学思潮は「失われた世代」と呼ばれる第一次大戦の戦後文学が勃興していました。スコット・フィッツジェラルド『楽園のこちら側』1920と『グレート・ギャッツビー』1925やカミングスの『巨大な部屋』1922、ドス・パソスの『マンハッタン乗換駅』1925や『北緯四十二度線』1930の実験と、フォークナー『サートリス』『響きと怒り』1929年と『死の床に横たわりて』『サンクチュアリ』1930年があり、さらにヘミングウェイは『われらの時代に』1925、『陽はまた昇る』1926、そして『武器よさらば』1929の三作で30歳にして大作家の地位を固めます。トマス・ウルフ『天使よ故郷を見よ』1929は「失われた世代」に引導を渡した作品でしょう。

自然主義小説はアメリカ社会の病巣を鋭く突きましたが、女性や有色人種、少数民族の社会的抑圧、内面の葛藤まではテーマにできませんでした。唯一可能性を感じさせたのはアンダソンで、素朴なフロイト的着想から社会的弱者を描いて巧みでしたが、作家としての天分の豊かさから類型的な心理小説には陥りませんでした。
性差や人種問題が初めてアメリカ小説で扱われたのはフォークナーの作品で、自然主義は頂点に達するや、次世代に乗り越えられたのです。