人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

スピード、グルー&シンキ『前夜(Eve)』1971

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Speed, Glue & Shinki-"Eve"(Full Album)rel.1971.6.25
https://www.youtube.com/watch?v=8s2EIfUs-_0&feature=youtube_gdata_player
(A)1.Mr. Walking Drugstore Man/2.Big Headed Woman/3.Stoned Out of My Head
(B)1.Ode To Bad People/2.a)M Glue/3.b)Keep It Cool/4.Someday We'll All Fall Down
Shinki Chen-Guitar
Masayoshi Kabe-Bass
Joey Smith-Drums,Vocal
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 80年代には70年代の日本のロックを聴くのはよほどの物好きと思われていました。はっぴいえんど(細野晴臣大瀧詠一)やはちみつぱい(鈴木慶一かしぶち哲郎)、四人囃子(森園勝敏佐久間正英)、シュガー・ベイブ(山下達郎大貫妙子)のようにメンバーが後で出世したバンドはまだしもですが、フラワー・トラヴェリン・バンドやブルース・クリエイションあたりですら結局ブラック・サバス系B級ハード・ロックじゃんか(当時70年代サバスの評価はどん底だった)とろくに聴かれもせずに目されていたのです。ごくわずかに、頭脳警察村八分サンハウスくらいがプロト・パンクのバンドとしてひっそり聴かれていたくらいです。あ、キャロルという例外中の例外もいるか。
 ところが90年代から欧米主導で日本の70年代ロックは初めて本格的に脚光を浴びることになり、2000年代以降では日本でも限定再発されては廃盤を繰り返しているアルバムが、専門インディーズから常に海外盤で入手できるという逆輸入状態になっています。
 これには欧米のリスナーの嗜好が90年代のクラブ・カルチャーの勃興以降エキゾチシズムとアシッド・カルチャーの結びつきからロックの辺境諸国へ関心が向かったのもあり、グランジ・ムーヴメントによってロックのスタイル史の読み返しが進んで70年代ブラック・サバス復権があった。グランジヴェルヴェット・アンダーグラウンドやストゥージス、ジョイ・ディヴィジョンなどドラッグ臭くてダウナーなアンダーグラウンドのロックを核にメジャーなハード・ロックの抜けの良さを取り入れたものですが、ツェッペリンやパープルではなくブラック・サバスグランジの手法の萌芽と完成型があったのです。そして、日本のコアな70年代バンドは早くからサバスの革新性に気づいていました。グランジのバンドがサバスを再評価したのと同じ評価軸でサバスを見ていたので、そこに時代を隔ててサウンド感覚を共有する要因がありました。
 ブラック・サバスは日本盤が発売される前からフラワー・トラヴェリン・バンドがカヴァーし、ブルース・クリエイションがサバスそのもののアルバムを作るなど直接的な影響力も大きなもので、アシッドでダウナーなヘヴィ・ロックでは軽佻浮薄な80年代には古臭く垢抜けないものとされましたが、90年代以降の欧米リスナーには日本にこんなすごいロックが埋もれていたのか、と驚嘆されたわけです。今ではアメリカ版ウィキペディアにも、大手音楽ガイド・サイトのオールミュージックやレイトユアミュージックにもフラワー・トラヴェリン・バンドやブルース・クリエイションファー・イースト・ファミリー・バンド裸のラリーズの項目があります。もちろんスピード、グルー&シンキも日本のロック・バンドを代表する存在と認められ、ファースト・アルバム『前夜(Eve)』は星五つ、セカンド・アルバム『スピード、グルー&シンキ』は星三つ半ですが、これはユーザー投票ですからカルト的な人気を誇る、と言えるでしょう。
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 2007年のジュリアン・コープの著作は2009年に翻訳刊行され、その浩瀚な内容
が刮目されましたが、コープ選の日本のロック・トップ50のうち5位までは次の通りです。

1.フラワー・トラヴェリン・バンド『SATORI』1971

2.スピード、グルー&シンキ『前夜(Eve)』1971

3.裸のラリーズ『Heavier Than A Death In The Family』1995(録音1977)

4.ファー・イースト・ファミリー・バンド『多元宇宙への旅』1976

5.J・A・シーザー『国境巡礼歌』1973

 コープの『前夜(Eve)』評価は熱狂的なもので、フラワー・トラヴェリン・バンド同様にツェッペリン以上でありサバスやストゥージスよりさらに進んだ破壊力を持ち、ダストやサー・ロード・ボルチモア、カクタスが貧弱に見え、オリジナル・メンバーのブルー・チアーくらいしか匹敵する英米バンドがない、クリームやマウンテンらが築き上げたハード・ロック様式を見事に素通りしたガレージ・ロックで、ロー・ファイやノー・ファイ、シューゲイザーをくぐってきた今日のリスナーにはスピード、グルー&シンキこそが新鮮に聴こえるのではないか、と絶賛しています。
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 バンドの背景を簡単に述べると、横浜のNo.1バンドだったゴールデン・カップスから脱退したベーシスト加部正義が交流のあったバンド、パワーハウスのギタリスト陳信輝と組み、在日フィリピン・ミュージシャンのジョーイ・スミスを迎えたのがスピード(スミス)、グルー(加部)&シンキでした。加部はフランス人とのハーフ、陳は中国系二世で、メンバー全員180cm以上の長身だったそうです(身長150cmのイギー・ポップはえらい違いだが、とジュリアン・コープは付け足しています)。加部と陳はまだ21歳だったというから舌を巻きます。
 メンバーみずからスピード(ヘロイン)と名乗るくらいで、ファースト・アルバムからのシングルは『ウォーキング・ドラッグストア・マン』というずばり売人の歌で、メジャーのワーナー・パイオニアから発売されたのは英語詞だったからでしょう。アルバム全曲がドラッグを歌った曲ばかりです。これがアメリカの大手音楽サイトで五つ星の評価を獲得するとは、良い世の中になったものです。
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 これほどアンチ・コマーシャルなロックがメジャーから発売されたこと自体が今日では驚嘆すべきことですが、一年も経たずに発表されたセカンド・アルバムは現在はもちろん当時としては無謀とも言える二枚組でした。しかしスミスの友人の在日フィリピン人ミュージシャン、マイケル・ハノポールをゲストに迎えたレコーディングは長期化し、飽きっぽいので有名な加部は途中で抜けてしまいます。陳の友人で元ワイルド・ワンズの渡辺、元テンプターズの大口を加えてアルバムは完成しますが、曲ごとの出来はともかくアルバムとしては散漫なものになりました。『サン/プラネッツ/ライフ/ムーン』などはどこのタンジェリン・ドリームかと思うようなシンセサイザー曲です。
 当時、ロック雑誌『音楽専科』には在日欧米人ジャーナリストによる日本のロック評が掲載されることがあり、73年最高のバンドはキャロルだが、ついでに言えば72年最高のバンドはスピード、グルー&シンキだった、とあり、当時でも先見の明があるジャーナリストはいたのです。
 セカンド・アルバムの制作中にバンドは空中分解していましたので、この二枚組は解散記念アルバムになりました。スミスとハノポールは帰国し、フィリピンのポピュラー音楽界の大御所になっているそうです。

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Speed, Glue & Shinki-from the Album"Speed, Glue & Shinki" rel.1972.3.25
"Run And Hide"
https://www.youtube.com/watch?v=kwOXVTn7mJc&feature=youtube_gdata_player
"Don't Say No"
https://www.youtube.com/watch?v=NFAK8ihFKIE&feature=youtube_gdata_player
"a)Sun/b)Planets/c)Life/d)Moon"
https://www.youtube.com/watch?v=yc-t_qjpWR0&feature=youtube_gdata_player
Speed, Glue & Shinki with
Michael Hanopol-Bass,Keyboard
Shigeki Watanabe-Keyboard
Hiroshi Oguchi-Drums