人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

正月のたぬきそば

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 生麺は昨年暮れにうどんもそばも買ってあったのだが、製造日は大差なくてもうどんとそばでは賞味期限にかなりの開きがある。細菌の繁殖などではなく、製法自体に品質の傷みに結びつく条件がある。
 つまり、同じ日に製造されてもうどんは衛生的な保管では2週間あまりの賞味期限を保つが、そばの場合は10割そばは即日、8割そばでも翌日、4割そばくらいでも三日かそこらしかそばのかたちを保てない。そばというのは、そば粉自体にはほとんど粘着性がないから粘着剤(つなぎ)として用いられるのは主に小麦粉で、他に使われるのは卵白やとろろなどだがまあ普通は小麦粉2割の8割そばならこしもしっかりしている。老舗の10割そばなんていったら旨いことは滅法旨いが、下手に茹でるとグズグズになってしまって素人が自宅の台所で茹でるには向かない。
 うどんの賞味期限が長いのはなぜか、もう説明するまでもなかろう。粘着剤である小麦粉自体でできているから、保存中も調理中も崩れないのだ。生そばなど保存中から水分と粘着剤が分離してボソボソになっていく。そば粉の割合が低く、小麦粉の割合が多いほど賞味期限も麺のこしもしっかりするが、そば粉の少ないそばはやはり「そば粉入りうどん」に近づくわけで、ついでに言えばおおざっぱに、うどんとそばは同量ならうどんの方がカロリーは1.5倍高く、たんぱく質含有量はそばの方が倍近く高い。ローカロリー、高植物性蛋白食品としてそばの方がうどんのみならず中華麺、スパゲッティなどと較べても抜群に優れているのだが、10割そばじゃないとそばではない、などと拘泥するようになっては人間として大切なものを失ってしまうような気がする。
 
 大晦日にそばは食べたばかりだったので本当はうどんを食べたかったのだが、そういう理由で年末に買った生そばの賞味期限が近づいた。近づいたといえば大晦日紅白歌合戦で審査員に出てきた黒柳徹子さんが、もうすっかり老婆のしゃべり方になっていたのも胸が痛かったが、生麺のそばの場合の賞味期限は衛生面ではなく、その期限を過ぎるとそばの柔軟性が急激に低下してボロボロになってしまうか、なんとか崩さず茹でてもまるで歯ごたえのないふやけたようなものになってしまう。
 ちなみに写りこんでいるのはレスター・ヤング(ts)の編集盤で、デビューから50年代初頭までの公式録音をクロノロジカルに網羅したものだが、前期・中期・後期に分けると初期のレスターはしなやかでのびのびしていた。中期のレスターは音域は低く、フレージングも慎重になる。後期レスターというと、ためらいながらボソボソと吹いていていかにも気乗りがしないようで、時おり奇蹟のように輝かしい瞬間もあるが長くは続かない。なんだかレスターの楽歴について語るとそばの麺の場合のそば粉の割合について語っているような気がしてくる。
 たぬきそば。そういえば2015年に入ってからはこれが最初の麺食になるんだな。一人暮らしの病人としては、この程度の支度は苦もなく出来れば入院生活には戻らなくて済むだろう。最後の入院が2010年12月~2011年3月になる。今年の3月で最後の退院から満4年になるのだ。入院すると女性患者に追い回される、逆恨みを買うというろくでもないジンクスもある。もう勘弁願いたい。ただし入院食はありがたいです。そばやうどんの日だったりするとまるで旗日のような気がしてくるくらい。
 
 再びレスター・ヤングの話にもどると、そばで言えば年とともにそば粉の割合が高くなっていった、つまり手打ちそば的には高級化していったということにはなる。だが演奏はそば粉含有率が高まるほど慎重に、またためらいがちになり、青年時代には汲めども尽きない歌心の宝庫だったような人が、あからさまに集中力の欠如をさらけ出してしまうような演奏ぶりになったのが録音作品にも残されてしまっている。もちろん天才の演奏は腐っても鯛だが、衰弱自体が特徴であるような演奏というのもあんまりだろう。
 しかしレスター50年の生涯で、演奏が次第に純化していった結果がわかりやすく青年~壮年~老年相応の演奏になっているのは、本当に自分を偽らなかった人、生涯むき出しの無垢のまま生きた人とも感じ、聴き返すたびにまるで初めて聴くような瑞々しさがあるのだ。無理矢理むすびつけるが、麺類では飽きないのはそばが一番、みたいなものだ。