人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

John Coltrane - Giant Steps(Atlantic,1960)

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John Coltrane - Giant Steps : http://youtu.be/wG2DOjU81Bk
Released January 1960 Atlantic SD1311
Recorded May 4-5, 1959, except "Naima" on December 2, 1959
(Side one)
1. "Giant Steps" 4:43
2. "Cousin Mary" 5:45
3. "Countdown" 2:21
4. "Spiral" 5:56
(Side two)
1. "Syeeda's Song Flute" 7:00
2. "Naima" 4:21
3. "Mr. P.C." 6:57
All Titles Composed By John Coltrane
[Personnel]
John Coltrane - tenor saxophone
Tommy Flanagan - piano
Wynton Kelly - piano on "Naima"
Paul Chambers - bass
Art Taylor - drums
Jimmy Cobb - drums on "Naima"

 ジョン・コルトレーンのこのアルバムは功罪半ばするもので、功績から言えばチャーリー・パーカービバップに始まるモダン・ジャズの技法を楽理的に徹底化し、理論と演奏技術から純粋にモダン・ジャズの頂点を極めることに成功した。一方、コルトレーンが『ジャイアント・ステップス』で達成した楽理と技法はそのままバークレー音楽院に代表される音楽理論と技術の習得方法に応用され、コルトレーンにとっては音楽的発見であり発明であったものがその後はサックス奏者のトレーニング用テキストでしかなくなってしまった、という、ジャズ技法のマンネリ化に直結することにもなった。
 それ自体はコルトレーンの罪ではないのだが、チャーリー・パーカーが直感的に発明したコードの細分化とスケール・チェンジによるビバップの技法が、やがてバンド・アンサンブルの強化を伴うハード・バップへと洗練されてマンネリ化したように、コルトレーンはさらにハード・バップの枠では収まらない複雑極まりない技法を編み出し実践したのだが、数年のうちにコルトレーンの技法もジャズの普遍的な技術の中に取り込まれてしまった。パーカーの音楽が実は楽理分析だけでは模倣できないグルーヴを持っていたようには『ジャイアント・ステップス』は理屈から生まれた音楽すぎた。

 アルバム・タイトル曲は16小節のテーマの中で10回転調する。アドリブも16小節で10回転調しながらスムーズなメロディを即興しなければならない、という猛烈なものだが、ならばどの音階でも8分音符で4音ごとに関係調に転調する、という特訓をすれば良い、という方法的抽出が行われ、音楽教育ではそれがもっとも合理的な練習法(サックスに限らず、ギターやピアノなども)とされた。いわゆるギターの速弾き、キーボードの速弾きなどが定着したのもパーカー~コルトレーンと続くアドリブ・ソロの理論的追求による。これはポップスやロックなど、西洋文化圏のポピュラー音楽全般に応用できる便利な音楽理論なのだ。
 ただパーカーには理論で割り切れない強靭で弾力性に富み、意表を突くグルーヴ感があったが、コルトレーンはパーカーをさらに細分化したアドリブ理論を優先するあまり、グルーヴやニュアンスでは多くを犠牲にしてしまった観は否めない。一小節に均等に16分音符を吹いていくスタイルは「シーツ・オブ・サウンド」つまり敷き詰めた音と呼ばれたが、指だけが動いていてすべての音に明確なタンギング(舌でリードをタップする)をするには間に合わないから、フレーズが平坦でニュアンスに乏しく、ビート面におけるグルーヴでも幅の狭いアクセントしか望めなくなる。

 コルトレーンは『ジャイアント・ステップス』か録音される2か月前に当時在籍していたマイルス・デイヴィスセクステットの『カインド・オブ・ブルー』に参加しており、そこではビバップのコード細分化とスケール・チェンジ手法からはまったく正反対のアプローチとなるモード奏法がマイルス・デイヴィスから指示され、コルトレーンは「コード・チェンジもスケール・チェンジもない曲を特殊なモード(音階)で吹く」という課題に素晴らしい演奏で貢献していた。コルトレーンビバップ以来の手法には近々行き詰まりが来ると予感しており、自分の手でその行き詰まりをやってみせたのが『ジャイアント・ステップス』だったのだろうと思う。生真面目な人なのだ。
 翌1960年、ビバップから出発し独自にモードにもたどり着いていながら一切の理論的アプローチを持たない異端児オーネット・コールマン(アルトサックス)が登場、ジャズ界の話題をさらう。コードを特定せずドラムスはどんどんずれる、ベースもビートを刻まない。サックスやトランペットの音程は気分次第でピアノなし、それでいながらエモーショナルでノリノリなので、ジャズマンたちはみんな頭を抱え込んだ。自分たちが今までやってきたことは一体何だったのだろう、ということになり、コルトレーンソニー・ロリンズもオーネットのメンバーをバックにアルバムを作って失敗する。

 コルトレーンがオーネットからの影響を良い形でコルトレーン自身の資質に消化できたのは、オーネットとコルトレーン共通の友人に、オーネットのようにも演奏できればコルトレーンのようにも吹けるアルト奏者のエリック・ドルフィーという存在があったからだろう。ドルフィーは純粋にチャーリー・パーカー純化させてコルトレーンとオーネットという両極に独自にたどり着いていた奇才だが、何より凄かったのはパーカーにしかできなかったグルーヴをドルフィー独自のフレージングで再現できたことで、オーネットも唯一演奏源があるとすればパーカーなのだがオーネットの場合はパーカーの解釈がいかれていた。
 さらにコルトレーンの転機になったのは、自己のサウンドを確立してオーネットへのコンプレックスも脱したばかりの64年6月ドルフィーが急死し、そのショックも醒めやらぬうちに新人テナーのアルバート・アイラー出世作『スピリチュアル・ユニティ』を64年7月に録音、新人の動向に敏なコルトレーンはアイラーのライヴを聴きに行き「どうやってそんな音が出せるの?」と驚愕して面談したという。コルトレーンは「アイラーみたいに吹けたらこんな音楽やっていなかった」とまでインタヴューで発言している。アイラーのサックスは和声やリズムどころか音程すら自由に操作した、アイラーの肉声そのものと言ってよいものだった。

 だがそれは『ジャイアント・ステップス』からさらに5年後の話になる。『ジャイアント・ステップス』自体は今でもコルトレーンが吹き込んだ当時と同じように、瑞々しさを失わないアルバムではある。だがジャズというと音階練習しているようなアドリブ・ソロが浮かんでくるイメージを多くのフォロワーたちからジャズ全体に浸透させてしまった元凶でもある。コルトレーン自身は『ジャイアント・ステップス』からさらに生涯作風を刷新していった人なのだが、音楽学校のジャズ教室は『ジャイアント・ステップス』のコルトレーン止まりで、『至上の愛』から始まる晩年2年半のコルトレーン、オーネットやドルフィー、アイラー、また彼らに並ぶラサーン・ローランド・カークは分析不可能だから教えていないのだ。