どう、いつもの私と違う気がしない?とミッフィーちゃんは化粧台から振り向くと、下士官たちの注意を惹きました。下士官たち、つまりアギーやメラニー、バーバラやウインはおのおのの流儀で顔を上げると、つまりアギーはおどおどと、メラニーはふてぶてしく、バーバラはのん気に、ウインは無表情に師団長を見つめましたが、とたんに全員に気まずいような、しかし何かしら無難な反応を見せてこの場をやり過ごさなければならない空気が流れました。われらがミッフィーは賛同以外のどんな反応も求めていないことは明らかでした。彼女は左耳に赤いリボンを蝶結びにしていたのです。どうかしら、とミッフィーは重ねて訊きました。
可愛いんじゃないの、とメラニー。彼女は要らないことまで口にする性格ですが、自分以外に口火を切る仲間がいないのに気づいたので損な役を買って出たのです。普段はわずらわしがられている短所がなせる業ですから、どんな人でも美点はあるものです。なんだかハローミッフィーっていう感じもするわね。
言っちゃったよ、とアギーはびくびくしました。メラニーの性格ならばストレートなもの言いはいつものことなのですが、それにしてもあまりにそのものずばりを言ってしまうにはまだ時期尚早すぎるのではないだろうか、とアギーには思われました。たとえば1714年7月20日、金曜日の正午に、ペルーでもっとも美しい橋が崩落し、ちょうど橋を渡っていた男女5人が深い谷間に落ちて即死しました。イタリアのイエズス会から派遣されていた宣教師がその時、橋につながる広場で宣教をしていましたが、事故の瞬間を目撃した彼は派遣期間の6年間を、神父職のかたわら5人の事故死者の親族や関係者に面談し、膨大な記録を残しました。それは神父に、人間は偶然に生まれ偶然に死ぬのか、神の御心によって生まれ神の御心によって死ぬのかを、この橋の崩落事故が問いかけてきたからです。メラニーなら間髪入れず、関係あるわけないじゃん、と一笑に付すでしょう。
ハローミッフィー、それもいいわね、とあっさりミッフィーが受け流したので、他ならぬメラニーもおや、と思いました。メラニーが思うにミッフィーには一定したキャラクターがなく、幼児の自我が場面場面で大きく変わるようにいくつかの引き出しがあるような状態だと考えられるのです。ですが今左耳にリボンを結んだミッフィーは、いつもの彼女とは違っていました。