人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Catherine Ribeiro + Alpes - N゚2 (Festival, 1970)

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Catherine Ribeiro + Alpes - N゚2 (Festival, 1970)
Released Festival FLDX531, 1970
Les textes sont ecrits par Catherine Ribeiro et mis en musique par Patrice Moullet, sauf indication contraire.
(Face A)
1. Prelude - 0:17 (instrumental) *no links
2. Sirba : https://youtu.be/UAUuYLQtvkc - 5:41
3. 15 aout 1970 : https://youtu.be/cdIQO7kEIY0 - 4:20
4. Silen Voy Kathy - 7:20 *no links
5. Prelude - 0:25 (instrumental) *no links
(Face B)
1.Prelude - 0:29 (instrumental) *no links
2. Poeme non Epique : https://youtu.be/nZ6PwJ7NMNs - 18:36
3. Ballada Das Aguas : https://youtu.be/xHeBApkAhX0 - 3:29
[Musiciens]
Catherine Ribeiro - chant
Patrice Moullet - cosmophone, guitare classique, orgue, chant(sur Sirba)
Denis Cohen - orgue, percussions
Isaac Robles Monteiro - guitare portugaise (sur le dernier titre)
Pires Moliceiro - guitare portugaise (sur le dernier titre)

 本来カトリーヌ・リベロ(1941~)はジャン・リュック・ゴダールの怪作『カラビニエ』1963で主演デビューした映画女優出身だが、他には大した出演作はなく、モデルのような仕事をしていたらしい。1964年からフォーク・ロック歌手としてEP(現在で言うマキシ・シングル。33 1/3prm、A面2曲・B面2曲が標準)デビューし、ボブ・ディランピート・シーガーの曲のザ・バーズ・ヴァージョン経由のフランス語詞カヴァーと自国ライターの書き下ろし曲のカップリングで64年と65年に1枚ずつ、66年に2枚の計4枚・16曲をリリースしている。だがロック・シンガーとしての本格的デビューは通常の45rpmシングルで、1969年にパトリス・ムーレ(1946~)をリーダーとするバンド、2Bis(セカンド・アルバムからはアルプと改名)と組んだ『Aria / La solitude』(avec 2Bis S-Festival 878)になる。パトリス・ムーレは『カラビニエ』に主人公の少年兵役で主演していた(俳優時代の芸名はアルベール・ジュロだった)。A面はアルバム未収録。アルバム未収録の上ボックス・セットにも入っておらず確認できないので、もしも再録音テイクだったら申し訳ないが、一応『Aria』が聴けるリンクを引く。タイトル通り歌詞のないヴォーカリーズ曲になっている。
Catherine Ribeiro + 2Bis - Aria (Festival, 45prm/1969) : https://youtu.be/CbDwsjXq7w0

 前回2Bis名義のデビュー・アルバムを紹介し、今回もフォーク・ロック歌手時代の曲はあえて割愛したが、若い女性歌手なら誰が歌ってもいいようなもので、女優の余興を出ない。ポピュラー歌手としても雰囲気不足で、シャンソン歌手といえる歌唱力にはまるで達していない。パトリス・ムーレと組んだ2Bisは初めてリベロならではのヴォーカル・スタイルの萌芽が見られた作品になった。リベロとムーレは『カラビニエ』での共演で知遇はあったが、1968年4月にリベロが自殺未遂事件を起こし、翌月パリの五月革命で世情が騒然とする中でロック・バンド結成のプランを立てる。アルプは音楽的な実験と同等に政治的な主張の強いロック・バンドでもあった。後にはシャンソン歌手として大成するリベロだが、ポピュラー・ヴォーカルからシャンソンに向かったのではなく、シャンソンを土台にロック・バンドを立てたのでもない。ムーレをバンドリーダーとしたロック・バンドのヴォーカリストだったのがアルプ時代のリベロであり、後のシャンソン転向はアルプとはリベロにとってシャンソンとは異なる音楽と意識されていたことによる。アンジュのようにシャンソンのロック化としてアルプが活動していたのならあえてリベロシャンソンへの転向を計る必然はなかったことになる。

 リベロ + 2Bis(アルプ)がデビューした1969年にはまだゴングもマグマもアンジュもデビューしていない。リベロとムーレが先行作品として参考にしたのは『ティム・バックリィ』(66年10月発売/エレクトラ)、『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ』(1967年3月/ヴァーヴ)、ティム・バックリィ『グッドバイ・アンド・ハロー』(67年9月/エレクトラ)、ニコ『チェルシー・ガール』(67年10月/ヴァーヴ)、ニコ『マーブル・インデックス』(68年11月/エレクトラ)、ティム・バックリィ『ハッピー・サッド』(69年3月/エレクトラ)などだったと思われる。『ハッピー・サッド』は時期的に遅いが、68年秋のヨーロッパ・ツアーで同アルバム収録曲はほぼ完成したアレンジで披露されており(発掘ライヴ盤『ドリーム・レター』1990で聴ける)、フォーク・ロックを発展させてフリー・フォームに到達したのは『マーブル・インデックス』と『ハッピー・サッド』があった。だがこれはあまりに個人的なスタイルなので、サウンド自体はアーティストごとにまったく異なったものになっている。
 だがリベロは、特に経歴の似ているニコとはイメージ的にも重なることから、動向を注目していたと思われる。80年代にニコがマリアンヌ・フェイスフルのカムバックを参考にしていたことは自他ともに知られていたが、カトリーヌ・リベロが安定した音楽キャリアを進められたのは、パトリス・ムーレという優れた音楽ディレクターと長期にわたってパートナーシップを結んでいたことだろう。70年代にはマリアンヌ・フェイスフルもニコも寡作で不遇をかこっていたが、リベロ + アルプの70年代はフランスのロック・シーンをリードする全盛期だった。70年代のニコは『マーブル・インデックス』1968以来のジョン・ケールがプロデューサーについていたが、『デザート・ショア』1970と『ジ・エンド……』1974の2枚しかアルバム・リリースがない。

 デビュー作『2Bis』ではまだポルトガル移民リベロのジプシー系フォーク色の方が強く出ていた。ドロドロのサイケデリック・フォークになるのは『N゚2』からになる。リベロ + アルプより少し遅れてイタリアではサイケ系カンタウトーレの登場があり、クラウディオ・ロッキ『魔術飛行』1971、アラン・ソレンティ『アリア』1972、マウロ・ペローシ『死に至る病』1972がよく知られるが、アラン・ソレンティの妹ジェニー・ソレンティがヴォーカリストサン・ジュスト『湖畔の家』1974などはリベロ + アルプと極めて近い。
 これらも影響源としてはアメリカのアシッド・フォークとジャーマン・エクスペリメンタル・ロックがあり、アルプからの直接影響ではなく平行現象だと思われるが、だとすればなおのことアルプの先進性がわかる。『2Bis』はデビュー作ならではのはつらつとした活力があったが、『N゚2』は自虐的なまでに内向的な攻撃性がむき出しになった第2作になった。当時世界レヴェルで見ても唯一初期のザ・ドアーズを継承するバンドになったのが『N゚2』、なかんずくアルバムの白眉をなすアルプ版『ジ・エンド』と言うべき『Poeme non Epique』だった。第3作・第4作が内省的・瞑想的作品になったのは第一子出産直後のアルバムという心境もあっただろう。第5作・第6作で再び第2作以来の攻撃性が追求され、シャンソン歌手への転向の試みと平行した第7作~第9作ではデビュー作以来の純粋な歌への回帰があり、シャンソン歌手への転向が完了するとアルプとの兼業はできなくなった。リベロの原点は『2Bis』だが、ロック・アルバムとしては『N゚2』がアルプ作品では起点になっていると言えるだろう。『Poeme non Epique』は第5作『Le Rat Deble~』に『Poeme non Epique(suite)』、第6作『(Libertes?)』に『Poeme non Epique III』が収録されて三部作をなし、ゴングの『Radio Gnome Invisible』三部作、マグマの『Kobaia』三部作、やや小粒だがエルドンの後期三部作、ワパスーのクリプト三部作と並ぶフランス70年代ロックの金字塔だが、『N゚2』収録のヴァージョンは「moi, je t'aime,mon'amour...moi, je t'aime,mon'amour...Aum,aum,aum!」と、恋人への呼びかけ(ジュテーム、モナムール)からバラモン教の聖言(オウム)へと絶叫が変化してピークに達する。

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 (Original Festival "Catherine Ribeiro + Alps - N゚2" LP Liner Cover)
 欠けている曲(特に残念なのはA面のクライマックスともいえる名曲A4."Silen Voy Kathy")があって残念だが、"Prelude"はいずれも30秒未満のギター・インストなので主要曲はリンクが引けた。短いインストの前奏曲A1に続くA2から、デビュー作よりグッとヘヴィでダークなサウンドとヴォーカル・スタイルに深化しているのがわかる。オルガンとパーカッション、クラシック・ギターの使われ方も効果的だが、このアルバムの圧巻は18分半におよぶB2『Poeme non Epique』だろう。これは結果的に三部作に発展し、第5作では25分半、第6作では22分半の大作になり、この三部作はアルプの楽曲ではもっとも実験的で政治的反体制メッセージを強調しており、ヴォーカル、サウンドともに過激で攻撃的な作品になる。第5作、第6作の続編ではもっと構成の綿密なものになるが、『N゚2』収録のもっとも混沌とした『Poeme non Epique』は初期アルプならではの混沌とした魅力がある。スージー・スーはニコとヨーコ・オノをフェヴァリットに上げ、ジム・モリソンに「最高の死人の声」と賛辞を表明しており、スージー・スーもなかなかジム・モリソン的な疲労感と頽廃感のある声を持ったヴォーカリストだが、リベロと較べると女学生と酸いも甘いも噛み分けた大年増ほどの貫禄の差がある。
 パトリス・ムーレによる改造楽器だそうだが、電気式ピックアップを搭載したエレクトリック・ヴィオラ・ダ・ガンバ(ヴィオール)、しかも通常の6弦ではなく共振弦を増やして24弦にしてあるというのがコスモフォンで、『Poeme non Epique』は全編でコスモフォンとパーカッションのサイケデリックな演奏に、明確なメロディ・ラインを持たないリベロの歌と語りを行き来するヴォーカリゼーションが自在に呼応していく。ティム・バックリィやニコと同じエレクトラ所属のザ・ドアーズ『ジ・エンド』11分40秒(67年1月のデビュー作に収録)、『音楽が終わったら』10分58秒(67年9月発表の第2作収録)や、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの第2作収録の『シスター・レイ』17分半(68年1月)のアルプ版ヴァージョンだが、このヘヴィさはジャーマン・ロックのアモン・デュール『サイケデリックアンダーグラウンド』1969、タンジェリン・ドリーム『エレクトロニック・メディテーション』1970、アシュ・ラ・テンペルのファースト(1971年)に近く、フランスのロックではエルドンの第5作『終わりのない夢』1976まで現れないスタイルだった(もっともタンジェリン、アシュ・ラ、エルドンはインストルメンタルだが)。先述の通りアルプ自身も第3作と第4作の大曲ではもっと内省的で瞑想的なスタイルに向かうが、第5作と第6作で攻撃的な『N゚2』の作風に回帰する。2年のブランクとリベロシャンソン歌手活動兼業があった第7作~第9作(最終作。第9!)はもっとポピュラーなスタイルになるので、『Poeme non Epique』三部作を含んだ3作をリベロ + アルプの真骨頂とするのは妥当だと思われる。