人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

カトリーヌ・リベロ+アルプ Catherine Ribeiro + Alps - 悪い鼠と田舎の男 Le Rat Debile et L' homme Des Champs (Philips, 1974)

カトリーヌ・リベロ+アルプ - 悪い鼠と田舎の男 (Philips, 1974)

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カトリーヌ・リベロ+アルプ Catherine Ribeiro + Alps - 悪い鼠と田舎の男 Le Rat Debile et L' homme Des Champs (Philips, 1974) Full Album : https://youtu.be/FXzyaD4ZABg
Released Philips 9101 003, 1974
Les textes sont ecrits par Catherine Ribeiro et mis en musique par Patrice Moullet, sauf indication contraire.

(Face 1)

A1. 小さな苺の女の子 La Petite Fille aux Fraises - 5:14
A2. 腐敗~4楽章のアルプ協奏曲 L'ere de la putrefaction, concerto alpin en 4 mouvements - 13:02
A3. (不明瞭な)明瞭な観察 Un Regard Clair (Obscur) - 4:48

(Face 2)

B1. 叙事詩ならざる詩・組曲~6楽章のアルプ協奏曲 Poeme non epique (suite) concerto alpin en 6 mouvements (Patrice Moullet, Daniel Motron) - 25:23

[ Catherine Ribeiro + Alps ]

Catherine Ribeiro - chant
Patrice Moullet - cosmophone, percuphone
Daniel Motron - orgue, piano
Gérald Renard - basse, percuphone
Denis Cohen - percussion, Timbales
Jean-Jaques Leurion - orgolia

(Original Philips "Le Rat Debile et L' homme Des Champs" LP Liner Cover & Face 1 Label)

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 アルバム・タイトルは直訳すれば『ずる賢いネズミと農夫』になりますが、これはイソップ寓話の中の「田舎のネズミと町のネズミ」をもじったもので、世界各国でこの寓話はさまざまなヴァリエーションを生んでいます。A1「小さな苺の女の子」はリベロが自分の娘を歌った、改造エレクトリック・パーキュフォンと手製24弦エレクトリック・ヴィオールのコスモフォンのサウンドにリードされる、変拍子ながらアルプとしてはこれまでになくストレートなロック曲です。A2「腐敗~4楽章のアルプ協奏曲」は2分40秒におよぶインスト部を第1楽章にリベロの詠唱調のヴォーカル部に入る、これもアルプとしてはアンジュに近いようなシャンソンプログレッシヴ・ロック解釈とも言える明快な構成の楽曲で、いかにもフランスのロックらしいファルファッサ・オルガンが印象的です。パーキュフォン兼任ながらドラムス専任奏者が加入したのもサウンドをダイナミックにしています。A3「(不明瞭な)明瞭な観察」は英米圏ではもっとも評価の高い第3作『Ame debout』、第4作『Paix』の作風を継ぐコスミックなアシッド・フォーク的楽曲で、曲調はよりポップで聴きやすくなっています。そしてB面全面の25分半の大作「叙事詩ならざる詩・組曲~6楽章のアルプ協奏曲」は第2作『N゚2』収録の「叙事詩ならざる詩(Poeme non epique)」の続編であり、次作の第6作『(Libertes ?)』に収録される「Poeme non epique n゚III」で完結する大作です。創始期のフランスの本格的ロック・アルバムとして溌剌とした活気に満ちたデビュー作『2Bis』1969、早くも混沌とした世情を反映してカオイスティックでヘヴィな作風に転じた2作目『N゚2』1970、リベロの女児出産を挟んで大手フィリップスに移籍し、穏やかな表現を見せた第3作『Ame debout』1971、緩急の感情の振幅をより大きなスケールで展開した第4作『Paix』1972と、前作までのアルバムもすべて傑作と言えるものでしたが、リベロ+アルプの最高の達成はこの第5作『Le Rat debile et L' Homme des champs』1974と、系列レーベルのフォンタナ移籍第1弾で通算6作目になる『(Libertes ?)』1975でしょう。同作で初期~中期アルプはいったん活動を休止します。

 7作目の『Le Temps de l'autre』1977はアルプのアルバムですがリベロのソロ名義になり、さらにリベロはアルプとは別にシャンソンのアルバムを2枚制作するかたわらアルプと第8作『Passions』1979を送り出しますが、シャンソン界へリベロが専念するために第9作『La Deboussole』を最後にアルプは解散します。伝統的なシャンソン歌手としての成功は困難で、リベロが一流のシャンソン歌手と認められるのは1993年のアルバム『Fenetre ardente』までかかりました。2005年にはアルプ時代の曲を歌うスペシャル・コンサートが開かれ若手メンバーを従えてひさしぶりにロックを歌ったステージが2007年発表のライヴ盤にもなりましたが、良くも悪くもプロの歌手になっていて、現役ロック歌手のリベロではなくアルプ時代のリベロシャンソン歌手となったリベロ自身が演じているような回顧的企画になりました。リベロはアルプとの'70年代にロックで表現したいすべてをやりつくしたように思えるゆえんです。

 リベロ+アルプの欧米での評価は『Ame debout』と『Paix』がサイケデリック・ロック文脈での女性ヴォーカルによる実験的アシッド・フォーク/ロック作品として代表作に上げられますが、一方典型的なプログレッシヴ・ロック・スタイルのユーロ・ロックや女性ヴォーカルでももっとロック色の強いタイプのマニアが多い日本では、リベロのようなおどろおどろしいフリーフォームの女性ヴォーカルは好まれないのか、決定的名盤として語られるアルバムがありません。そもそもLP時代からほとんど輸入されず、CD再発も不完全な上に再発CDですら入手困難になっていた期間がながったバンドでした。しかし『2Bis』から『(Libertes ?)』までの6枚はどれも聴いて損どころか、一生聴き飽きない名作ぞろいです。それでも単品発売の中古盤CDですら5桁近いプレミアがついていては、試しにどれか1枚買ってみるかという気もなかなか起きないのも仕方ないでしょう。

 日本のロックのリスナーの好みはアレンジの緊密なハード・ロックが多勢を占めますから(ビート・グループからブルース・ロック、サイケデリック・ロックプログレッシヴ・ロック、一般的なアメリカン・ロック、パンク・ロックヘヴィ・メタルにいたるまで基準はハード・ロック的なタイトさで聴かれています)、ムード的なフリーフォーム・スタイルの『Ame debout』と『Paix』があまり好まれないのはわかります。ですが『N゚2』のインダストリアルの域に達した土俗的攻撃性や、アルプとしては異例に英米的で構築的なプログレッシヴ・ロックに接近した本作や『(Libertes ?)』もやっぱりあまり聴かれているとは言えません。アルプというと『Ame debout』と『Paix』のあれね、で済まされてしまっているのかもしれません。逆に「Poeme Non Epique」三部作を含む『N゚2』、本作、『(Libertes ?)』でリベロ+アルプのもっとも激しくヘヴィな側面を知らないと、『Ame debout』と『Paix』のアシッド・フォーク的な完成度の高さはぎりぎりのところで成り立っていたのがわからないことにもなります。

 第5作の本作と第6作『(Libertes ?)』がプログレッシヴ・ロックのリスナーにアピールする要素があるのは、本作のA面が5分程度の曲に挟まれてA2に13分4楽章の協奏曲、B面全面が6楽章の「Poeme Non Epique(suite)」(このsuiteは組曲とも続き、続編の意味もあるでしょう)で25分半あるコンセプト・アルバム的な構成にもよります。最初の18分にもおよぶ「Poeme Non Epique」(『N゚2』収録)のがヘヴィ級のクラウトロックにも劣らないカオスだった(ただしダイナミックな構成力は抜群でした)のに較べて、本作と次作の「Poeme Non Epique」は楽章の区切りがきちんと判別できる作りになっています。専任ドラマーとベーシストが初めて入り、コスモフォン(改造24弦エレクトリック・ヴィオール)とオルガンが彩るサウンドに、3人がパーキュフォン(改造エレクトリック・パーカッション)を兼任しているのも効果的で、構成を重視した大曲が本作と次作ではメインです。一聴して正体不明の楽器が盛大に鳴っていますが、弦楽器系の音がコスモフォン、打楽器系の音がパーキュフォンです。

 次作『(Libertes ?)』も同様の構成で、A面に3分~6分の曲を4曲、B面は22分半の「Poeme Non Epique III」になっていますが、リベロ + アルプの場合は異端的なアシッド・ロック・スタイルからプログレッシヴ・ロックに接近したもので、アンジュと同様当然同時代の英米ロック(ジェスロ・タル、ヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレイター、ジェネシスなど)は熱心に参照していたはずですが、構成の面はともかくサウンド面ではアルプにはほとんど影響が現れていません。リベロのヴォーカル・スタイルまたしかりで、リベロを聴いていたらスージー・スーやXのエクシーンは意識的にリベロ的な唱法を避けていたでしょう。ジム・モリソンやティム・バックリー直系の女性ヴォーカルとしてリベロ以上の存在はなく、だいたいドアーズやバックリー系女性ヴォーカル自体が当時他にはいませんでした。ゴングのようなジャズ・ロック的フリーフォーム、マグマのようなマニエリスム、アンジュのようなシアトリカル・スタイルと簡潔に分類するには、カトリーヌ・リベロ+アルプの音楽は作為性がなく分類を拒むラディカルな訴求力があり、ヴォーカル・スタイルやサウンドのみを模倣しても21世紀の現代では意味をなさないものでしょう。次回は最高傑作『(Libertes ?)』をご紹介したいと思いますが、アルプの全9作がボックス・セット化されているとはいえ単品でいつでも手軽にCDで入手できないのは歴史的損失とさえ言えます。現在はシャンソン界の重鎮となっているリベロ本人が、案外再発売を拒んでいる可能性もあるのかもしれません。

(旧稿を改題・手直ししました)