人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

Can - Rite Time (Mute, 1989)

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Can - Rite Time (Mute, 1989)
Recorded at Outer Space Studio, December 1986
Released; Mercury Records, Mute 838 883-8, October 1989
All tracks by Can
Produced by Holger Czukay and Michael Karoli
(Side 1)
1. On the Beautiful Side of a Romance : https://youtu.be/SdXfCO7qp8w - 7:27
2. The Withoutlaw Man : https://youtu.be/fLNAezk3dkM - 4:18
3. Below This Level (Patient's Song) : https://youtu.be/KnW0IBO1KhA - 3:44
4. Movin' Right Along - 3:28 *no links
(Side 2)
1. Like a New Child : https://youtu.be/SSiR93IMAQI - 7:36
2. Hoolah Hoolah : https://youtu.be/f19NBu41APk - 4:31
3. Give the Drummer Some - 6:47 *no links
(CD Additional Track)
1. In the Distance Lies the Future - 4:00 *no links
[ Personnel ]
Holger Czukay - bass, French horn
Michael Karoli - guitar
Jaki Liebezeit - drums
Irmin Schmidt - keyboards
Malcolm Mooney - vocals

 今回がカンのアルバムをご紹介する最終回になる。未発表録音集のうち『Can Live』1999(2CD)と『The Lost Tapes』2013(3CD)には言及しただけでリンクをご紹介していないが、未発表ライヴについても未発表スタジオ録音についても、ライヴはご紹介した『Can Live』未収録の音源の方が演奏・選曲・音質どれも断然優れており、未発表スタジオ録音も先発の『Unlimited Edition』と『Delay 68』『Prehistoric Future』『Outtake Edition』で優れたものは出尽くしているので『The Lost Tapes』はカンの全アルバムを聴いていなければあまり(ほとんど)意味がない。そこで実質的にカンの最新作、たぶんミヒャエル・カローリ没後の現在ではもう再々結成はあり得ないから、この『Rite Time』がご紹介する最後のアルバムになる。マルコム・ムーニーがヴォーカルに、ホルガー・シューカイがベースに復帰、1969年以来20年ぶりにデビュー作と同一メンバーによるアルバムを発表した。ただし録音は86年に完了しており、発表を急がずカン再評価と過去のアルバムのCD再発に合わせて、最終的にデビュー作の1969年からちょうど20年、解散アルバム『Can(Inner Space)』1979発表から10年というキリの良い年に発表したのだろう。
 20年ぶりにマルコムが復帰したアルバムということで期待値が高かったため、このアルバムが発表されると案の定、賛否両論が互角に起こった。否定的評価では過去のマルコム在籍時のカンとは音楽性も違いすぎれば緊張感もない、コマーシャリズムに乗った作品としたし、賞賛的評価ではカン解散後の各メンバーのソロ・アルバムに見られた指向性をほどよくコンテンポラリーなポップスの潮流と調和させた作品とした。どちらの評価も納得できるだけの根拠があり、ひとつ言えるのは過去のカンのアルバムは同時代であっても西洋が遠い時代で、ヨーロピアン・ロックという付加価値をつけて聴かれていたことだろう。それが80年代末ともなると、新作であれ幻の名盤の復刻であれ、内容本位にしか価値はなくなった。ソニック・ユースプライマル・スクリームの新作と並べて聴くのが当たり前のようになっていた、ということだろう。否定的評価は80年代末で現在形であるカンには不当だし、賞賛的評価も実際はメンバーのキャリアという留保が条件になる。『Rite Time』はそういう性格のアルバムだった。
 (Original Mercury/Mute "Rite Time" LP Liner Cover)

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 全7曲(CDでは全8曲)中、A面4、B面3の各面のラスト・トラックのリンク(CDでは全編ラストの追加曲も)が引けなくて申し訳ない。しかもA4,B3,Additional-1はいずれもアルバム中のハイライトといえる面白い曲だが、A面3曲、B面2曲でもこの、アルバム1枚制作するためだけの1度限りの再結成アルバムの感触は伝わると思う。同時にカンのドキュメンタリーも制作され、アルバムへの参加は辞去したが自分のバンドで音楽活動を再開しているダモ鈴木とマルコムが談笑している姿も観られるが、このアルバムで聴けるカンの音楽からまず感じるのは適度に洗練された(ややシニカルな)暖かみであり、それはほど良く距離感を保った大人の友情に似ていることに気づく。
 今回もカンの基本はファンクで、実際はマルコム在籍時の1969年にはカンのファンクは発展途上でダモ時代に完成したから、ロスコー・ジー(ジャマイカ出身)やリーバップ(ガーナ出身)も黒人ではあったけれどアメリカ黒人のマルコムのようには声質がソウルではなかった。音楽性ではダモ脱退直後の『Soon Over Babaluma』と、次の『Landed』の折衷から発展させたものが感じられ、『Landed』の次作『Flow Motion』までの3枚が創設メンバーのホルガー、イルミン、ヤキ、ミヒャエルの4人だけで作ったアルバムだから、あのサウンドに専任ヴォーカルの声が欲しかった、とマルコムとダモの両方に一時的再結成の声をかけた(ダモには断られたが)のもわかる。もっとも『~Babaluma』はともかく、『Landed』や『Flow Motion』にマルコムやダモが入ったサウンドは想像がつかないが、あり得たサウンドのひとつが『Rite Time』なのではないか。80年代エレクトリック・ポップのようなふりをして、案外マルコムが歌ってみた『Soon Over Babaluma』を意図していたのではないか、と思える。ジャケットを思い出していただきたい。
 (Original U.A. "Soon Over Babaluma" LP Front Cover)

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 LP初回プレスは銀箔印刷で濃紺の空を背景にした雪山が描かれていた『Soon Over Babaluma』だが、今回も銀箔ではないにしろ濃紺に女性モデルの加工ポートレイト写真、とバンドのアイディアには一貫性がある。『~Babaluma』はダモ脱退でマルコムを呼び戻そうとしたが、その時は断られたバンドが創設メンバー4人だけで初めて完成したアルバムで、音楽性はマルコム~ダモ時代のままのものだった。それからカンは『Flow Motion』までちょくちょくヴォーカリスト探しをし、マイケル・カズンズというイギリス人ヴォーカリストをテストしたライヴや渡英していたティム・ハーディン(!)とのリハーサルなどを残しているが、結局優れた演奏メンバーを増員してヴォーカル兼任にする、というのに落ちついた。専任ヴォーカリストなら、マルコムやダモの後ではそれ以上の逸材は見つからない。『~Babaluma』『Landed』『Flow Motion』では主にミヒャエルがヴォーカルを取ったがヴォーカル・パートは1作ごとに減少し、ロスコーとリーバップの加入後は『Saw Delight』『Out of Reach』ではその2人、ラスト・アルバム『Can(Inner Space)』は再びミヒャエルで、ヴォーカルもやっとサマになってきたところだった。
 創設メンバーだけで作ったアルバムでは、むしろイルミンの変態的な粘着低音ヴォーカルが光る。カンのサウンドと相まってデイヴィッド・シルヴィアン(JAPAN)の先取りのようでもあり、『Landed』のミヒャエルのヴォーカルは『~Babaluma』のイルミンのリード・ヴォーカル曲から学んだ唱法なのではないかと思えるが、イルミン本人が歌う「Babylonian Pearl」(『Flow Motion』収録)にはかなわない。創設メンバーでは作曲はイルミンとミヒャエルが中心だったと思われ、イルミンは60年代末~現在まで膨大な映像作品のサウンドトラックを手がけてきて作風の幅が広く、このアルバムに近いのはカン解散後のイルミンのヴォーカル・アルバムでもある。プロデュース・クレジットがホルガーとミヒャエルなのはどんなものだろうか。ホルガーとイルミンの共同プロデュースでは張り合いになってしまう。唯一ソロ活動が頓挫していたミヒャエルを立てた可能性もある。ホルガー抜きのイルミン、ヤキ、ミヒャエルの3人は2000年にカン・プロジェクトとして来日予定だったがミヒャエルの体調不良で中止となっており、晩年はダモ鈴木バンドのライヴにレギュラー・ゲスト出演していたが、1ステージにウィスキーをボトル1本空けるほどのアルコール依存症に陥っており、2001年に逝去している。作詞は従来通りヴォーカルのマルコム、作曲と編曲はイルミン主導で行われたと思われ、ミヒャエルのクレジットは経済的救済措置の面もあったのではないか、とも思うが、ミヒャエルの自宅スタジオを使用して制作されたという背景もあるようだ。
 (Original Mercury/Mute "Rite Time" LP Side 1 Label)

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 カン解散後にホルガーとヤキはエスニック要素とダブに感化された音楽に向かったが、イルミンは現代音楽風サントラを多作するかたわら、何とも形容し難い変態的な頽廃ヨーロピアン・エレ・ポップのヴォーカル・アルバムに進んだ。イルミンの作曲をヤキとホルガーのビートで土台を作り、イルミンとミヒャエルの編曲でカラーリングし、マルコムがヴォーカルを乗せ、最終的にホルガーのセンスで音像をまとめ上げれば『~Babaluma』と『Landed』の過渡期のカンの音作りにマルコムが加わったサウンドになる。『Future Days』までのカンはバンド全員の即興セッションから編集・統一して楽曲に仕立てていたが、さすがにそこまでは効率の問題もあって戻れなかったのだろう。メンバー個々のスケジュールで、パートごとにオーヴァーダビングして制作していったと思われる。録音ミヒャエルの共同プロデュース・クレジットはホルガーの助手として制作進行を担当したのかもしれない。最年少メンバーとしてミヒャエルは他の創設メンバー同士にはあった音楽的エゴの対立からは免れており、バンドの仕切り直しアルバムだった『Landed』がミヒャエルをフィーチャーしたアルバムだったのもホルガー色やイルミン色に傾かないようにするための、一種の妥協案だったと思える。
 だが今回は創設メンバー全員に愛されているマルコムが帰ってきた。イルミンのキーボードもヤキのドラムスもホルガーのベースとサウンド処理も、パーツ単位でならかつてのカンのままで、楽曲と音色は80年代後半風になっている。カンにそれが似合うかと言えば微妙に気持悪いのだが、それならかつての「Spoon」や「I Want More」などのシングル・ヒットもずいぶん変なものだった。また、アルバム制作に合わせて長編ヒストリー・ヴィデオの制作が行われたが、前述の通りダモ鈴木もこれには参加しているのも、どちらかといえばドキュメンタリー制作が主であって、その副産物として新作アルバムが企画されたのかもしれない。そんな主客転倒が、と言われそうだが、ザ・ビートルズの『Let It Be』がレコーディング・セッションのドキュメンタリー映画用に制作されたアルバムだった。当時ビートルズは解散寸前で、これはバンド立て直しのための企画だったのだが、かえって解散を促進させてしまう。だがカンは、『Rite Time』で再び存在感を示して再解散することで、確実に1990年代の再評価の地盤を固めた。バンドの生き残り術という点でも、カンはかなり特異な延命を重ねつつ評価を高めてきた稀有な存在に思える。