人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

コスモス・ファクトリー - トランシルヴァニアの古城 (日本コロムビア, 1973)

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コスモス・ファクトリー - トランシルヴァニアの古城 (日本コロムビア, 1973) Full Album : https://youtu.be/l7IC60kni8c
Recorded at Columbia Studios, Japan, Tokyo June/July 1973.
Released by 日本コロムビア・レコード Columbia Merry Go Round Series-4 YZ-41-N, Oct 21, 1973
Produced by 立川直樹 Naoki Tachikawa, 本間高雄 Takao Honma
(Side A)
A1. サウンドトラック 1984 = Soundtrack 1984 (インストルメンタル・曲 泉つとむ) - 3:20
A2. 神話 = Maybe (詞・曲 川口恵三) - 5:54
A3. 目覚め = Soft Focus (詞・曲 立川直樹・泉つとむ) - 3:39
A4. 追憶のファンタジー = Fantastic Mirror (詞・曲 泉つとむ) - 4:27
A5. ポルタガイスト = Poltergeist (インストルメンタル・曲 泉つとむ) - 4:26
(Side B)
B. トランシルヴァニアの古城 (詞・曲 泉つとむ) - 18:40
(i)死者の叫ぶ森 = Fantastic Mirror
(ii)呪われた人々 = The Cursed
(iii)霧界 = Darknness Of The World
(iv)トランシルヴァニアの古城 = An Old Castle Of Transylvania
[ コスモス・ファクトリー Cosmos Factory ]
泉つとむ Tsutomu Izumi - Keyboards, Synthesizer (Moog), Lead Vocals
水谷ひさし Hisashi Mizutani - Guitar, Vocals
滝としかず Toshikazu Taki - Bass Guitar, Vocals
岡本和夫 Kazuo Okamoto - Drums, Percussion
Misao - Violin

コスモス・ファクトリーウィキペディアにも載っているが、活動期間の長さとアルバム枚数からすれば簡略すぎるほどで、
コスモスファクトリー

コスモスファクトリー(英称: Cosmos Factory)はかつて存在した日本のロックバンド。

コスモスファクトリー
出身地; 日本 愛知県名古屋市
ジャンル; プログレッシブ・ロック
活動期間; 1970年 - 1977年
レーベル; コロムビア東芝EMI

概要
1968年、キーボードの泉つとむを中心に「ザ・サイレンサー」として名古屋で結成。
1973年、立川直樹プロデュースでコロムビアから1stアルバム「トランシルバニアの古城」でレコードデビュー。「コスモスファクトリー」と改名。
1974年、EMIに移籍し1975年、2ndアルバム「謎のコスモス号」を発表。
1976年、3rdアルバム「Black Hole」を発表。この時期、ハンブル・パイやムーディー・ブルースなどの前座を務めた。
1977年、ラストアルバム「嵐の乱反射」を発表後に解散。
2001年、プログレッシブ・ロックバンド「天志音」として、仲博史(ボーカル、ドラムス)、泉つとむ「泉千」(ボーカル、キーボード)、水谷ひさし(ボーカル、ギター)、山下直樹(ベース)のメンバーで名古屋を基点にライブ活動を始める。

オリジナルメンバー
泉つとむ(ボーカル、キーボード)
滝としかず(ボーカル、ベース)
水谷ひさし(ボーカル、ギター)
岡本和夫(ドラムス)

ディスコグラフィー
アルバム
1. トランシルバニアの古城(1973年)
2. 謎のコスモス号(1975年)
3. Black Hole(1976年)
4. 嵐の乱反射(1977年) 」
(以上全文)
と、あまりにもそっけない。70年代の国産プログレッシヴ・ロックのバンドなら四人囃子ファー・イースト・ファミリー・バンドはもっと詳しく載っている。ファー・イーストにはドイツ語版ウィキペディアにも項目があるが、コスモス・ファクトリーは外国語版には項目はない(意外なことに四人囃子にもないが)。もっともウィキペディアを基準にするなら、70年代の日本のロック最高のバンドはフラワー・トラヴェリン・バンドとサディスティック・ミカ・バンド裸のラリーズになり、次いで日本国内で最大の影響力があったバンドとしてはっぴいえんどが紹介されているくらいになる。フラワーとミカ・バンド、ラリーズはっぴいえんどを日本の70年代ロック最高のバンドとするのは意表を突かれるが、案外公平かもしれない。
(Original Japan Columbia "トランシルヴァニアの古城" LP Liner Cover & Gatefold Inner Cover)

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 70年代の日本のプログレッシヴ・ロックのバンドには90年代末に初めて発掘ライヴがCD化され、以来70年代の未発表スタジオ録音が次々とアルバム化された京都のだててんりゅうを始め、関西のロックフェス「8・8ロック・デイ」のオムニバス・ライヴに数少ない音源を残した大阪のだるま食堂、伝説的な(音源がない)四国のヘヴィ・プログレバンドのイゴッソウなどが長い活動で知られ、また単発的にプログレッシヴ・ロックのアルバムを残したバンドの例もあるが(ハプニングス・フォー『引潮・満潮』71.5、『あんぜんバンドのふしぎなたび』76.9など)、デビュー作からプログレッシヴ・ロックのバンドと目され十分な枚数のアルバム制作を叶えたバンドは3、もしくは4バンドしかない。まずサディスティック・ミカ・バンドグラム・ロックプログレッシヴ・ロックの中間的存在として上げられ、『サディスティック・ミカ・バンド』1973.5.5、『黒船』1974.11.5、『HOT MENU』1975.11.5、『ライヴ・イン・ロンドン』1976.7.5の4作を残した。だが純粋にプログレッシヴ・ロックのバンドというと、ファー・イースト・ファミリー・バンドコスモス・ファクトリー四人囃子の3組を70年代の日本3大プログレ・バンドとするのが80年代以来の定説になっている。
ファー・イースト・ファミリー・バンド
・日本人 (前身バンド・ファーラウト名義) (1973.3)
・地球空洞説 (1975.8.25)
・多元宇宙の旅 PARALLEL WORLD (1976.3.25)
・NIPPONJIN (1976.8.25)
・天空人 (1977.11.25)
コスモス・ファクトリー
トランシルヴァニアの古城 (1973.10.21)
・謎のコスモス号 (1975.8.5)
・Black Hole (1976.8.5)
・嵐の乱反射 (1977.7.5)
四人囃子
・ある青春~二十歳の原点 (映画イメージ・アルバム) (1973.10.25)
・一触即発 (1974.6)
・ゴールデン・ピクニックス(1976.4.21)
・PRINTED JELLY (1977.10.25)
・'73四人囃子 ('73 幻ライヴ-俳優座ロック・コンサートより) (1978.1.25)
・包 (bao) (1978.7.25)
・NEO-N (1979.11.28)

当時も後のようにロック系インディーズも盛んであればもっと多くのバンドがアルバムを残せたかもしれないが、70年代にはフォーク系インディーズの存在がせいぜいで、まれにロックのアルバムがフォーク系レーベルから出ることはあっても商業的な成功は望めず、短命に終わるバンドがほとんどだった。ファー・イースト、コスモス、囃子はメジャー・レーベルの目にとまり、純粋なスタジオ録音のオリジナル・アルバムを4作は残せたのだからプログレに限らず国産ロック・バンドでは有数の存在だったと言える。この3バンドでは四人囃子がメンバーの年齢ではもっとも若く、アルバム・デビュー時の平均年齢は20歳だった。コスモスの前身のサイレンサー(泉、水谷在籍)とバーンズ(滝、岡本在籍)はグループ・サウンズ時代のバンドになり、ファー・イースト(ファーラウト)も活動は早くコミック・ソングの企画シングルを71年、72年には少女タレントの企画アルバムに全面参加している。ファー・イーストが本格的にヒッピー的で四人囃子がもっとも若い世代の感覚をそなえてデビューしたとしたら、コスモスは3バンドの中ではセンスにおいてオーソドックスな観をまぬがれなかった。プログレッシヴ・ロックではあるが出自がGS期であるためにビート・グループ的な楽曲をサイケデリック・ロック以降のアレンジで仕上げる発想の尻尾があり、具体的にはヴァニラ・ファッジ、アイアン・バタフライを代表とするアメリカのダークなオルガン・ヘヴィ・サイケのバンドが原点にある。イギリスのプログレッシヴ・ロックハード・ロックもファッジやバタフライの影響下で生まれたので、イギリスのバンドではなくアメリカのオルガン・ヘヴィ・サイケのバンドから直接発展したオリジナリティがコスモスにはあった。特に似ているのは「Black Sheep」1968で知られるデトロイトのバンド、SRCで、ゴールデン・カップス時代のルイズルイス加部氏もフェヴァリット・バンドに上げている。
SRC - Black Sheep (45 Version, 1968) : https://youtu.be/XUrLjD33Vyo
(Original Japan Columbia "トランシルヴァニアの古城" LP Lylic Sheet)

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 解散後も高い人気を誇る四人囃子、伝説的なファー・イーストと較べるとコスモスは地味な存在で、現在でもあまり再評価されているとは言えないがファー・イースト、四人囃子同様コスモスも本作がスペインの復刻レーベルPhenix Recordsから『An Old Castle Of Transylvania』として輸入盤発売されており、レーベルのカタログにはこうある。
「Product Description; Digitally remastered edition of this 1973 album from the Japanese Prog rockers. Cosmos Factory played the local scene for a couple of years before gaining anything more than local success. The band finally made its name as support for The Moody Blues and signed to Columbia Records in 1973, releasing their debut (and best) album An Old Castle Of Transylvania that same year. Cosmos Factory took their marvellous name from a wholly cosmic misreading of Creedence Clearwater Revival's LP Cosmo's Factory, which has unfortunately led many to believe that they were a Space Rock band. Instead, this is Moog keyboard heavy in an Italian progressive style, and the epic 18-minute title track that closes the album enters the realms of real experimentation. For fans of The Nice, Arzachel and early King Crimson.」
イタリアのヘヴィ・プログレ・スタイルとの類似を上げているのが興味深い。確かにジャーマン・ロック的なファー・イースト、英米ロックからストレートに影響を受けた囃子にはないくどさと垢抜けなさがコスモスにはあって、たぶんメンバー(特に別姓名義だが泉・水谷兄弟)はロックが大好きなんだろうと思わせる没入ぶりがあり、全曲の作詞作曲を手がける(A2のみ外部作者)泉の巧みなマルチ・キーボードと声量あるヴォーカル、音色・フレーズとも見事な水谷のリード・ギター、確かな腕前の滝・岡本のベースとドラムスにケチをつけるところはまったくない。だがバンドが一丸となると日本のバンドでは珍しく高い水準のヴォーカル・コーラス(A2のイントロはクリーム「White Room」だろう)とあいまって、やりすぎなほど臭い世界が広がってしまうのだ。日本ではイタリアン・ロックは熱心な愛好家が多いが、日本の70年代バンドでもっともイタリアン・プログレに近いキャラクターの音楽をやっていたコスモスに日本のリスナーの点が辛いのは近親嫌悪に近い感覚があるのかもしれない。
(Original Japan Columbia "トランシルヴァニアの古城" LP Side A & Side B Label)

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 実際コスモスの泉つとむはリーダー/ソングライター/ヴォーカリストとしてファー・イーストの宮下富美夫、四人囃子森園勝敏(後期は佐藤ミツル)よりも安定した実力を感じさせる。当時はイタリアン・ロックは日本には未紹介どころか同時進行のムーヴメントだったので、特定のブリティッシュプログレッシヴ・ロックのバンドからの影響(フライド・エッグには露骨にキング・クリムゾンやEL&Pを下敷きにした曲があり、ファーラウトと四人囃子ピンク・フロイドが下地にあった)ではないコスモスのサウンドには十分なオリジナリティがあった。曲調がどの曲も似ている欠点はあるがその分統一感はあり、アルバム・ジャケットの陰鬱なイメージもサウンドに合っていてセンスが良いとは思えなくても悪くはない。ではなぜコスモスの音楽は臭く聴こえるのか。このアルバムの白眉はシングル・テイクも発売された名曲A4で、パーカッシヴなリフが特徴的なアルバム・テイクも良いがシングルとしてはこのヴォーカルが前面に出たアレンジは成功と言える。
(「追憶のファンタジー」シングル・ジャケットより)

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追憶のファンタジー (Single Version) : https://youtu.be/QbicmE1_m3M

コスモスは本格的にイギリスのプログレッシヴ・ロックから学んだバンドだが、歌詞に外来語も使わないくらい日本語の歌を大事にしていたのはソングライターでリード・ヴォーカルをとる泉つとむのポリシーだろう。後期には滝、水谷も楽曲提供し、第3作『ブラック・ホール』はあからさまに後期キング・クリムゾンを下敷きにしたタイトル曲があり、ラスト・アルバム『嵐の乱反射』では全曲英語詞になるが、デビュー作にして自信作『トランシルヴァニアの古城』で築き上げたスタイルが当時ほとんど注目されずに、四人囃子やファー・イーストにあっという間に差をつけられたのが迷走の始まりだったかもしれない。
コスモスへの好評も不評もヴォーカルやサウンドのあまりにドラマチックで過剰な抒情性を指摘し、それは英米ロックというよりも当時のリスナーには歌謡曲的に聴こえたことがある。評価はロックというにはあまりに日本的ではないか、と論点では一致していたのだが(ファー・イーストや四人囃子にも少なからず言われた)、イタリアやドイツ、フランスの70年代ロックが紹介されてみると非英語圏のロックはどこもだいたい英米ロックを各国独自に誇張したスタイルをとるのが判明した。「追憶のファンタジー」はピーター・ハミルというより布施明のようだが、布施明だってロック・シンガーとしてのキャリアがある。自国のロック・バンドを二流の亜流扱いしていたのは非英語圏のどこの国でもあったことで、コスモスが苦戦したのも無理はなかった。ただし「このバンドの音は飽きる」とした寸評もあって、それがファー・イーストや四人囃子とコスモスを分けているのは否めない。安定した実力は必ずしも魅力にはつながらず、コスモスの場合はサウンドを平坦なものにしている。難しいものだと思う。