人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

偽ムーミン谷のレストラン・改(16)

 さて、今ムーミン谷のレストランには、いる人もいない人も含めて主要なムーミン谷住民ほぼ全員が顔を揃えていました。すなわち、
 ムーミンパパ、ムーミンママ、ムーミン/スノーク、フローレン/ヘムレンさん、ジャコウネズミ博士/ヘムル署長、スティンキー/ミムラ、ミイ、ミムラ族35兄弟姉妹/ミムラ族とスナフキンの母ミムラ夫人/スナフキンの父ヨクサル/冒険家ロッドユールとソースユール夫妻と息子スニフ/発明家フレドリクソン/3人の魔女トロール・トゥーティッキ、モラン、フィリフヨンカ/フィリフヨンカの叔母エンマ、女友だちガフサ/小言じじいグリムラルンさん/双子夫婦トフスランとビフスラン/谷のガキどもホムサたち/見えない少女ニンニ/迷い這い虫ティーティウー/群棲担子菌類ニョロニョロ/ご先祖様(暖炉の裏に住む老ムーミン)
 その他ここにいない人たちです。ところでこれらのトロールたちは(ニョロニョロもトロールと呼べればですが)何のためレストランに大挙して押しかけていたかというと、早い話が習性としか呼びようのないものでした。習性というと生態学的で客観的に過ぎるならば、野次馬根性と言えばどうでしょうか。
 生死の境界がはっきりしないトロールにとっても死は厳粛な儀式であるはずでした。しかしトロールたちはといえば、些細な習俗の変化でさえも見逃さないのですから死ほどの一大イヴェントを逃すわけはなく、どこからともなく集まれば飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎになるのは責めても仕方のないことです。トロールたちの習慣では生命活動の停止が観測されてから一昼夜かけて蘇生しないかを確認しつつ集会する、これをお通夜と呼び、そののち故人と行政にとってもっとも望ましいとされる方法で遺体の処分を行う際にまた集会を開いて執り行う、これを葬儀と呼びます。
 もちろん概念の実体化でしかないトロールにはこれらはまったく意味を持たない習俗ですが、習俗自体が本来意味を必要としますでしょうか。ないない、ことトロールに限って言えば、あー、あり、ありえん、あーりえないことですから多くを期待したら負けです。そんなの負けたって悔しくないやと思わせてしまうのがトロール効果というべきで、尊厳においてトロール以下であることがどれほど恐ろしいことかを知っていればいるほど語るべきことと語らざるべきことをわきまえているはずでしょう。そこに谷の深淵が開いていました。