だててんりゅう Datetenryu - 1971 (Gyuune, 1996) Full Album : https://youtu.be/b3tpUSVs47s
Recorded live in studio 1971-1973
Released by Gyuune Cassette CD95-06, October 25, 1996
(Track Number)
1. ぶっこわれた僕 (作詞作曲・楢崎裕史/編曲・隣雅夫) - 4:17
2. 春げしき (作詞・楢崎裕史/作曲・隣雅夫) - 10:07
3. 泥まみれ (作詞・楢崎裕史/作曲・隣雅夫) - 20:02
4. Part-4 (作詞作曲・楢崎裕史/編曲・だててんりゅう) - 4:01
5. あぶくの味 (作詞・楢崎裕史/作曲・隣雅夫) - 8:30
[ だててんりゅう ]
隣雅夫 - Organ
楢崎裕史 - Vocals, Bass, Harmonium
中村好孝 - Drums (tracks: 1,2,3)
山下圭 - Guitar (tracks: 4,5)
上田省吾 - Drums (tracks: 4,5)
今回はパンクもメタルもぶっとばす凄まじいオルガン・トリオ、それも日本語ヴォーカルの強烈なやつで歌詞がまったく聞き取れない。しかもこれに似たバンドが存在しないばかりかあまりに異質で突然変異的な点、日本や世界という枠を飛び越えているばかりか音楽だけ聴くといつの時代の録音かも断定できない超越性すらある。70年代に京都を拠点としたロックバンド、だててんりゅうは1996年初のアルバム(発掘音源)が発表されて以来2006年までに7枚のアルバム、1枚のライヴ・コンピレーション参加作がある(リスト後述)。バンドの歴史については公式ホームページ、
DATETENRYU OFFICIAL WEBSITE ; http://homepage2.nifty.com/unto/sub02.html
が詳しい。バンドは1983年に活動休止宣言し、1996年にリーダーの隣雅夫とオリジナル・ベーシストでヴォーカルの楢崎裕史の再会から活動再開し、この『だててんりゅう/1971』はバンドの復活をサポートする形でリリースされ、以来次々と未発表になっていたスタジオ録音音源、ライヴ音源がCD化されたのだが、ホームページのバンド・ヒストリーから1971年~1983年の年表を引用させていただく。実質的にはだててんりゅうは1981年のライヴで活動休止に入っているが、バンドを去来したメンバー、共演したバンドの顔ぶれを見ると、日本のロックのど真ん中を生き抜いてきたバンドなのがわかる。以下、オフィシャル・サイトからのヒストリーの転載になる。
「1971年から2008年までの隣雅夫を中心とするだててんりゅうの主な活動歴
▽1971
●5月 京都産業大学軽音楽部にて、隣雅夫(オルガン)、楢崎裕史(ヴォーカル、ベース)、上田省吾(ドラム)、山下圭(ギター)にて、だててんりゅう結成。
●6月 京都産業大学にて加藤和彦のコンサートのオープニングアクトをつとめる。
●7月 京都円山音楽堂にてサウンドクリエーター主催の『モップスコンサート』のオープニングアクトをつとめる。
▽1972
●2月 御池ナショナル・ショウルームにて、定期的に自主企画コンサ-ト開始(2年間継続 )。豊田勇三、古川豪などジャンルをこえたゲストを迎えてのイベントを企画する。
●7月 京都円山音楽堂、サウンドクリエーター主催の「だててんりゅう・ハートマザーオーツ・コンサート」。ゲストにモップス、井上陽水.やしきたかじんなどが出演。
●9月 中村好孝(ドラムス)加入。
▽1973
●5月『村八分』京大西部講堂レコーディングライブで、オープニングアクトを務める。
●8月大坂万博会場ヤマハ8・8ロックディ参加(ウエストロードなど)。
●10月 楢崎ひろし『頭脳警察』加入の為、脱退。
▽1974
10月京都成安女子大文化祭、京都平安女子大文化祭に出演。隣、中村、三須磨一也(ドラム)、野中ひろあき(ベース)、村地博(サックス)。ブルースハウス・ブルース・バンドと共演。ツインドラムにベースにオルガンそしてサックスとゆう編成で活動再開。
●11月各地の大学文化祭に出演。
▽1975
●4月 京都円山音楽堂スプリング・フェスフェスティバルに出演。(ダウンタウン・ブギウギ・バンド、桑名正博、ブラインドエキスプレス、ペドロ&カプリシャスなど出演)。隣雅夫(org.vo)、中村好考(dr)、野中ひろあき(b)、ゲストにフルート&サックスに市川修(ジャズ・ピアニスト)。飛び入りで当時、頭脳警察の楢崎ひろし(vo,herp)出演。京都KBSラジオにて、オン・エアー。
●8月 大坂万博会場ヤマハ8・8ロックディ参加(上田正樹、ウエストロードなど)。隣雅夫(org.vo)、中村好考(dr)、野中ひろあき(b)、ZIN(g)。
●9月 埼玉県浦和市の田島ケ原野外コンサートに出演。(四人囃子、あんぜんBAND、頭脳警察などと共演)
●10月 現フロマージュ/シネマの谷口裕一(dr)加入。
●12月 京大西部講堂「Mojo West 」大晦日コンサート出演。
▽1976
●4月 井上衛(b)、五百頭旗邦彦(vo.g)、三須磨一也(dr)、三須磨大成(g)加入。各地ライブハウスを回る。
●9月 埼玉県浦和市田島ケ原野外コンサート出演。東京・渋谷の屋根裏、高円寺次朗吉、三ノ輪モンドなどに出演。
▽1977
●3月 京都ライブ・ハウス磔磔を中心に、隣、村地、井上衛(b)、杉浦正周(dr)、ZIN(g)、横川理彦(violin)にて即興演奏主体のライブ・パフォ-マンスを繰り返す(2年間)。
●8月1日発行 阿木譲 主催の月刊誌rock magazine 隣雅夫、散文を公開。
●8月 ブラインドエキスプレスから西峰裕(g)参加。
●9月埼玉県浦和市の田島ケ原野外コンサートに出演。(四人囃子、魔人岩、ハルオフォンなどと共演)。
高円寺次朗吉出演。
●10月 ドラックストアー主催の京大西部講堂コンサート出演(天地創造、ダダなど)。
●12月 FM-NHK(若いこだま)出演(阿木譲企画)、3曲演奏。
▽1978
●1月 ヤマハ神戸センター・ロックホライゾン出演(シェラザード、アイン・ソフなどと共演)。隣雅夫(org.syth.vo)、井上衛(b)、杉浦正周(dr)、西峰裕(g)、村地博(sax)。
▽1979
●7月 京大西部講堂 村八分 再結成コンサートに、隣、ピアノ・オルガンで参加。
●9月 京都ライブハウス 銀閣寺・サーカス&サーカス、祇園・共和村を中心に隣、三須磨大成(ギター)、末永雄三(ベース),岩本コージ(ドラム)だるま食堂から倉田潤(ギター)らでアンサンブル主体のライブ・パフォースマンスを繰り返す(2年間)。この頃は、INU(町田町蔵在籍)、ドクター(kyon在籍)とよく共演する
●10月 京都 祇園・共和村ライブに山口富士夫(村八分)ギターで飛び入り出演。
●11月 共和村ライブに浅田哲(村八分)ハープで飛び入り出演
●12月 京大西部講堂REVO1980出演(フリクション、ノーコメンツ、キャラバンなど)。
▽1980
●10月 京都府立勤労会館198X・だててんりゅうコンサート。ジー(ベース)加入。サポートプレイヤーに光森英毅(キーボード)。
●12月 京大西部講堂コンサート出演(Tバード、キャラバン)。大阪 SABホール関西TV(ローリング・ポップス)出演。
▽1981
●1月 尼崎ピッコロ・シアター・ライブ・ルネッサンス、だててんりゅうコンサート。
●2月 サポートキーボード光森に替わりKYON参加。
●8月 サーカス&サーカス出演を最後に、だててんりゅう名義のライブ活動を休止する。
●11月 隣、井上、杉浦、スズカ・チェスナット・スタジオで数曲録音。ゲストギタリストに三十三間堂の中路ススム参加!
▽1982
●2月 隣、井上、杉浦、スズカ・チェスナット・スタジオで数曲録音。
●12月 隣、井上、杉浦、村地、松田幹夫(g)、KYON(p)、佐野東洋(sax)、スタジオ録音の作品中心に、サーカス&サーカスにてライブ。
▽1983
●1月 リーダー隣雅夫の意向により音楽製作、ライブ活動休止!
1983年以降10数年間だててんりゅうは音沙汰無しとなる。
1983ー1995(活動中止)
○NRXT 1996ー2005」
アルバムの全5曲中、オリジナル・メンバーの上田省吾(ドラムス)、山下圭(ギター)参加の音源はTrack 4「Part-4」とTrack 5「あぶくの味」で、Track 1~3は中村好孝(ドラムス)参加のギターレス・トリオだから、4と5が1971年録音、1~3は1972年~1973年録音と推定される。2007年以降リーダーの隣雅夫はソロ・アルバムをリリースしているが、これまでのだててんりゅうのバンド名義の発掘音源からのアルバムと新録音は、
1. 1971 ?(CD, Album/Gyuune Cassette/CD95-06) - 1996
2. Unto ?(CD, Album/Belle Antique/Belle 97370) - 1997
3. 1976 ?(CDr, Ltd/Hello Good-Bye Studio/HGM10002) - 2000
4. 凪 (Nagi) ?(CD, Album/Banana Songs/WPR-1211) - 2000
5. 2001 拾得 ライブ!(CD, Album/Banana Songs/WPR-1212) - 2003
6. Red Afternoon Blues (CD, Album/Banana Songs/WPR-1213) - 2004
7. Cool Flying Dragon ?(CD, Album/Banana Songs/WPR-1214) - 2006
8. ウラワ・ロックンロール・センター秘蔵音源復刻シリーズ/秘蔵ライブ音源BEST SELECTION1973~1983 (CD, Comp./Caraway Records/CARA-3019) - 2006
のフルアルバム7枚、コンピレーション参加作1枚がある。他に「Underground復刻シリーズ」として『Vol.1 夕焼け祭り』『Vol.3 ラリーズ・ハウス・セッションat福生』『Vol.8 Underground Tracks 70's/V.A.』『Electric Allnight Show/1973.11.3-4@Saitama Univ.』などを出していたレーベルが楢崎裕史が参加した歴代バンドの未発表ライヴ音源オムニバス『Vol.2 HIROSHI伝説』(だててんりゅう、頭脳警察、裸のラリーズ、ほか)を2004年にリリースしているが、だててんりゅうオフィシャル・サイトのディスコグラフィでも落とされている通り、これはアーティスト未公認らしい(「Underground復刻シリーズ」そのものが法外な価格、収録アーティスト認可の形跡がないことから疑わしいリリースだった)。しかし隣雅夫、楢崎裕史、中村好孝のギターレス・トリオ時代が1971年~1981年のだててんりゅうの活動でも最初のピークだったのは違いないと言えそうで、CDのインサートでも「このアルバムは、故・中村好孝(1981・没)に捧げる。」と隣雅夫が記している。中村好孝が2代目ドラマーになったのが1972年9月、楢崎裕史が頭脳警察加入のため脱退したのが1973年10月だから、このラインナップは正味1年だけ続いたものだった。
スタジオ録音とはいえ演奏全体が音割れして、ヴォーカルやベースにまでファズがかかったような状態なので1~3の歌詞はほとんど聴きとれないが、この3曲だけでもアナログLPのAB面に相当するわけで、1973年の時点でこれが発売されていたらと思うと慄然とする。楽器編成はオルガン・トリオでエマーソン・レイク&パーマーというか、使用キーボードはオルガンだけなのでキース・エマーソンの元いたバンド、ザ・ナイスと同じになり、キーボード・トリオは当時プログレッシヴ・ロックに分類されていたし、オルガンが縦横無尽に駆け回り、頻繁なリズム・チェンジや変拍子、ベースやドラムスとのインタープレイがあるといった点でもEL&Pや当時のイギリスのプログレッシヴ・ロックのバンドとの共通点はある。6/8拍子のインタープレイはグレッグ・レイクのいたキング・クリムゾンの「21Century Schizoid Man」を連想させるし、リズム・ブレイクからキーボードのアルペジオやバンド一丸となったユニゾン・プレイになる展開などイエス、クリムゾン、EL&Pなどのアルバムを聴き込み、学んでいないということはないだろう。
しかし曲想や全体に満ちた殺気、切迫感はイギリスのプログレッシヴ・ロックはもちろん当時の日本のバンドでも類例がないもので、歌詞が聞き取れなかったり演奏全体が割れてしまっている音質もかえって音楽の凶暴性を際だたせている。当時はまだ日本のロックが英語詞で歌うか日本語で歌うかで姿勢を問われていた時代だが、ヴォーカルの楢崎裕史のセンスは迷わず日本語詞を選んでいるのに(しかも聞き取れない!)日本語ヴォーカルの響きまで音楽の凶暴さをいや増している。楢崎裕史のヴォーカルはこうしたスタイルの音楽以外では歌とすら呼べないものだろう。それは隣雅夫のオルガン、中村好孝のドラムスも同じで、アルバム最大の20分に及ぶ大作3ではディストーションのかかったオルガン、ベース、ドラムスがガレージもパンクも超えてほとんどノイズ・ミュージックの域に達している。同時代のチェコスロバキアのキーボード・バンド(1970~1981)、コレジウム・ムジカムのキーボード奏者マリアン・ヴァルガも爆音を出していたし本家キース・エマーソンもライヴではフィードバック音を暴走させていたが、隣雅夫はエマーソンもヴァルガも関係なく自分の発想でだててんりゅうのスタイルにたどり着いた。楢崎裕史のヴォーカルとベース、中村好孝のドラムスのトリオ編成だからこそ到達したスタイルでもあって、音響実験的な4、楢崎裕史のシンガー・ソングライター的な面がフォーク・ロック期のボブ・ディランに似た曲想で現れている5も好ましいが、やはり1~3の3曲に尽きる。ちなみにジュリアン・コープの例の『ジャップロック・サンプラー』で本作はベスト50アルバムの32位につけている。
Recorded live in studio 1971-1973
Released by Gyuune Cassette CD95-06, October 25, 1996
(Track Number)
1. ぶっこわれた僕 (作詞作曲・楢崎裕史/編曲・隣雅夫) - 4:17
2. 春げしき (作詞・楢崎裕史/作曲・隣雅夫) - 10:07
3. 泥まみれ (作詞・楢崎裕史/作曲・隣雅夫) - 20:02
4. Part-4 (作詞作曲・楢崎裕史/編曲・だててんりゅう) - 4:01
5. あぶくの味 (作詞・楢崎裕史/作曲・隣雅夫) - 8:30
[ だててんりゅう ]
隣雅夫 - Organ
楢崎裕史 - Vocals, Bass, Harmonium
中村好孝 - Drums (tracks: 1,2,3)
山下圭 - Guitar (tracks: 4,5)
上田省吾 - Drums (tracks: 4,5)
今回はパンクもメタルもぶっとばす凄まじいオルガン・トリオ、それも日本語ヴォーカルの強烈なやつで歌詞がまったく聞き取れない。しかもこれに似たバンドが存在しないばかりかあまりに異質で突然変異的な点、日本や世界という枠を飛び越えているばかりか音楽だけ聴くといつの時代の録音かも断定できない超越性すらある。70年代に京都を拠点としたロックバンド、だててんりゅうは1996年初のアルバム(発掘音源)が発表されて以来2006年までに7枚のアルバム、1枚のライヴ・コンピレーション参加作がある(リスト後述)。バンドの歴史については公式ホームページ、
DATETENRYU OFFICIAL WEBSITE ; http://homepage2.nifty.com/unto/sub02.html
が詳しい。バンドは1983年に活動休止宣言し、1996年にリーダーの隣雅夫とオリジナル・ベーシストでヴォーカルの楢崎裕史の再会から活動再開し、この『だててんりゅう/1971』はバンドの復活をサポートする形でリリースされ、以来次々と未発表になっていたスタジオ録音音源、ライヴ音源がCD化されたのだが、ホームページのバンド・ヒストリーから1971年~1983年の年表を引用させていただく。実質的にはだててんりゅうは1981年のライヴで活動休止に入っているが、バンドを去来したメンバー、共演したバンドの顔ぶれを見ると、日本のロックのど真ん中を生き抜いてきたバンドなのがわかる。以下、オフィシャル・サイトからのヒストリーの転載になる。
「1971年から2008年までの隣雅夫を中心とするだててんりゅうの主な活動歴
▽1971
●5月 京都産業大学軽音楽部にて、隣雅夫(オルガン)、楢崎裕史(ヴォーカル、ベース)、上田省吾(ドラム)、山下圭(ギター)にて、だててんりゅう結成。
●6月 京都産業大学にて加藤和彦のコンサートのオープニングアクトをつとめる。
●7月 京都円山音楽堂にてサウンドクリエーター主催の『モップスコンサート』のオープニングアクトをつとめる。
▽1972
●2月 御池ナショナル・ショウルームにて、定期的に自主企画コンサ-ト開始(2年間継続 )。豊田勇三、古川豪などジャンルをこえたゲストを迎えてのイベントを企画する。
●7月 京都円山音楽堂、サウンドクリエーター主催の「だててんりゅう・ハートマザーオーツ・コンサート」。ゲストにモップス、井上陽水.やしきたかじんなどが出演。
●9月 中村好孝(ドラムス)加入。
▽1973
●5月『村八分』京大西部講堂レコーディングライブで、オープニングアクトを務める。
●8月大坂万博会場ヤマハ8・8ロックディ参加(ウエストロードなど)。
●10月 楢崎ひろし『頭脳警察』加入の為、脱退。
▽1974
10月京都成安女子大文化祭、京都平安女子大文化祭に出演。隣、中村、三須磨一也(ドラム)、野中ひろあき(ベース)、村地博(サックス)。ブルースハウス・ブルース・バンドと共演。ツインドラムにベースにオルガンそしてサックスとゆう編成で活動再開。
●11月各地の大学文化祭に出演。
▽1975
●4月 京都円山音楽堂スプリング・フェスフェスティバルに出演。(ダウンタウン・ブギウギ・バンド、桑名正博、ブラインドエキスプレス、ペドロ&カプリシャスなど出演)。隣雅夫(org.vo)、中村好考(dr)、野中ひろあき(b)、ゲストにフルート&サックスに市川修(ジャズ・ピアニスト)。飛び入りで当時、頭脳警察の楢崎ひろし(vo,herp)出演。京都KBSラジオにて、オン・エアー。
●8月 大坂万博会場ヤマハ8・8ロックディ参加(上田正樹、ウエストロードなど)。隣雅夫(org.vo)、中村好考(dr)、野中ひろあき(b)、ZIN(g)。
●9月 埼玉県浦和市の田島ケ原野外コンサートに出演。(四人囃子、あんぜんBAND、頭脳警察などと共演)
●10月 現フロマージュ/シネマの谷口裕一(dr)加入。
●12月 京大西部講堂「Mojo West 」大晦日コンサート出演。
▽1976
●4月 井上衛(b)、五百頭旗邦彦(vo.g)、三須磨一也(dr)、三須磨大成(g)加入。各地ライブハウスを回る。
●9月 埼玉県浦和市田島ケ原野外コンサート出演。東京・渋谷の屋根裏、高円寺次朗吉、三ノ輪モンドなどに出演。
▽1977
●3月 京都ライブ・ハウス磔磔を中心に、隣、村地、井上衛(b)、杉浦正周(dr)、ZIN(g)、横川理彦(violin)にて即興演奏主体のライブ・パフォ-マンスを繰り返す(2年間)。
●8月1日発行 阿木譲 主催の月刊誌rock magazine 隣雅夫、散文を公開。
●8月 ブラインドエキスプレスから西峰裕(g)参加。
●9月埼玉県浦和市の田島ケ原野外コンサートに出演。(四人囃子、魔人岩、ハルオフォンなどと共演)。
高円寺次朗吉出演。
●10月 ドラックストアー主催の京大西部講堂コンサート出演(天地創造、ダダなど)。
●12月 FM-NHK(若いこだま)出演(阿木譲企画)、3曲演奏。
▽1978
●1月 ヤマハ神戸センター・ロックホライゾン出演(シェラザード、アイン・ソフなどと共演)。隣雅夫(org.syth.vo)、井上衛(b)、杉浦正周(dr)、西峰裕(g)、村地博(sax)。
▽1979
●7月 京大西部講堂 村八分 再結成コンサートに、隣、ピアノ・オルガンで参加。
●9月 京都ライブハウス 銀閣寺・サーカス&サーカス、祇園・共和村を中心に隣、三須磨大成(ギター)、末永雄三(ベース),岩本コージ(ドラム)だるま食堂から倉田潤(ギター)らでアンサンブル主体のライブ・パフォースマンスを繰り返す(2年間)。この頃は、INU(町田町蔵在籍)、ドクター(kyon在籍)とよく共演する
●10月 京都 祇園・共和村ライブに山口富士夫(村八分)ギターで飛び入り出演。
●11月 共和村ライブに浅田哲(村八分)ハープで飛び入り出演
●12月 京大西部講堂REVO1980出演(フリクション、ノーコメンツ、キャラバンなど)。
▽1980
●10月 京都府立勤労会館198X・だててんりゅうコンサート。ジー(ベース)加入。サポートプレイヤーに光森英毅(キーボード)。
●12月 京大西部講堂コンサート出演(Tバード、キャラバン)。大阪 SABホール関西TV(ローリング・ポップス)出演。
▽1981
●1月 尼崎ピッコロ・シアター・ライブ・ルネッサンス、だててんりゅうコンサート。
●2月 サポートキーボード光森に替わりKYON参加。
●8月 サーカス&サーカス出演を最後に、だててんりゅう名義のライブ活動を休止する。
●11月 隣、井上、杉浦、スズカ・チェスナット・スタジオで数曲録音。ゲストギタリストに三十三間堂の中路ススム参加!
▽1982
●2月 隣、井上、杉浦、スズカ・チェスナット・スタジオで数曲録音。
●12月 隣、井上、杉浦、村地、松田幹夫(g)、KYON(p)、佐野東洋(sax)、スタジオ録音の作品中心に、サーカス&サーカスにてライブ。
▽1983
●1月 リーダー隣雅夫の意向により音楽製作、ライブ活動休止!
1983年以降10数年間だててんりゅうは音沙汰無しとなる。
1983ー1995(活動中止)
○NRXT 1996ー2005」
アルバムの全5曲中、オリジナル・メンバーの上田省吾(ドラムス)、山下圭(ギター)参加の音源はTrack 4「Part-4」とTrack 5「あぶくの味」で、Track 1~3は中村好孝(ドラムス)参加のギターレス・トリオだから、4と5が1971年録音、1~3は1972年~1973年録音と推定される。2007年以降リーダーの隣雅夫はソロ・アルバムをリリースしているが、これまでのだててんりゅうのバンド名義の発掘音源からのアルバムと新録音は、
1. 1971 ?(CD, Album/Gyuune Cassette/CD95-06) - 1996
2. Unto ?(CD, Album/Belle Antique/Belle 97370) - 1997
3. 1976 ?(CDr, Ltd/Hello Good-Bye Studio/HGM10002) - 2000
4. 凪 (Nagi) ?(CD, Album/Banana Songs/WPR-1211) - 2000
5. 2001 拾得 ライブ!(CD, Album/Banana Songs/WPR-1212) - 2003
6. Red Afternoon Blues (CD, Album/Banana Songs/WPR-1213) - 2004
7. Cool Flying Dragon ?(CD, Album/Banana Songs/WPR-1214) - 2006
8. ウラワ・ロックンロール・センター秘蔵音源復刻シリーズ/秘蔵ライブ音源BEST SELECTION1973~1983 (CD, Comp./Caraway Records/CARA-3019) - 2006
のフルアルバム7枚、コンピレーション参加作1枚がある。他に「Underground復刻シリーズ」として『Vol.1 夕焼け祭り』『Vol.3 ラリーズ・ハウス・セッションat福生』『Vol.8 Underground Tracks 70's/V.A.』『Electric Allnight Show/1973.11.3-4@Saitama Univ.』などを出していたレーベルが楢崎裕史が参加した歴代バンドの未発表ライヴ音源オムニバス『Vol.2 HIROSHI伝説』(だててんりゅう、頭脳警察、裸のラリーズ、ほか)を2004年にリリースしているが、だててんりゅうオフィシャル・サイトのディスコグラフィでも落とされている通り、これはアーティスト未公認らしい(「Underground復刻シリーズ」そのものが法外な価格、収録アーティスト認可の形跡がないことから疑わしいリリースだった)。しかし隣雅夫、楢崎裕史、中村好孝のギターレス・トリオ時代が1971年~1981年のだててんりゅうの活動でも最初のピークだったのは違いないと言えそうで、CDのインサートでも「このアルバムは、故・中村好孝(1981・没)に捧げる。」と隣雅夫が記している。中村好孝が2代目ドラマーになったのが1972年9月、楢崎裕史が頭脳警察加入のため脱退したのが1973年10月だから、このラインナップは正味1年だけ続いたものだった。
スタジオ録音とはいえ演奏全体が音割れして、ヴォーカルやベースにまでファズがかかったような状態なので1~3の歌詞はほとんど聴きとれないが、この3曲だけでもアナログLPのAB面に相当するわけで、1973年の時点でこれが発売されていたらと思うと慄然とする。楽器編成はオルガン・トリオでエマーソン・レイク&パーマーというか、使用キーボードはオルガンだけなのでキース・エマーソンの元いたバンド、ザ・ナイスと同じになり、キーボード・トリオは当時プログレッシヴ・ロックに分類されていたし、オルガンが縦横無尽に駆け回り、頻繁なリズム・チェンジや変拍子、ベースやドラムスとのインタープレイがあるといった点でもEL&Pや当時のイギリスのプログレッシヴ・ロックのバンドとの共通点はある。6/8拍子のインタープレイはグレッグ・レイクのいたキング・クリムゾンの「21Century Schizoid Man」を連想させるし、リズム・ブレイクからキーボードのアルペジオやバンド一丸となったユニゾン・プレイになる展開などイエス、クリムゾン、EL&Pなどのアルバムを聴き込み、学んでいないということはないだろう。
しかし曲想や全体に満ちた殺気、切迫感はイギリスのプログレッシヴ・ロックはもちろん当時の日本のバンドでも類例がないもので、歌詞が聞き取れなかったり演奏全体が割れてしまっている音質もかえって音楽の凶暴性を際だたせている。当時はまだ日本のロックが英語詞で歌うか日本語で歌うかで姿勢を問われていた時代だが、ヴォーカルの楢崎裕史のセンスは迷わず日本語詞を選んでいるのに(しかも聞き取れない!)日本語ヴォーカルの響きまで音楽の凶暴さをいや増している。楢崎裕史のヴォーカルはこうしたスタイルの音楽以外では歌とすら呼べないものだろう。それは隣雅夫のオルガン、中村好孝のドラムスも同じで、アルバム最大の20分に及ぶ大作3ではディストーションのかかったオルガン、ベース、ドラムスがガレージもパンクも超えてほとんどノイズ・ミュージックの域に達している。同時代のチェコスロバキアのキーボード・バンド(1970~1981)、コレジウム・ムジカムのキーボード奏者マリアン・ヴァルガも爆音を出していたし本家キース・エマーソンもライヴではフィードバック音を暴走させていたが、隣雅夫はエマーソンもヴァルガも関係なく自分の発想でだててんりゅうのスタイルにたどり着いた。楢崎裕史のヴォーカルとベース、中村好孝のドラムスのトリオ編成だからこそ到達したスタイルでもあって、音響実験的な4、楢崎裕史のシンガー・ソングライター的な面がフォーク・ロック期のボブ・ディランに似た曲想で現れている5も好ましいが、やはり1~3の3曲に尽きる。ちなみにジュリアン・コープの例の『ジャップロック・サンプラー』で本作はベスト50アルバムの32位につけている。