人生は野菜スープ~usamimi hawkrose diary

元雑誌フリーライター。勝手気儘に音楽、映画、現代詩、自炊などについて書いています。

新・偽ムーミン谷のレストラン(56)

ムーミン谷の二人の長老賢者の対話
(ヘムレンさん)
 この谷の法律は誰もが知ることはできない。それは誰しも例外なく適用されるわれわれを支配する少数の議会の秘密で、それらが確実に守られているのは疑えない。とは言え知りもしない法律に支配されているのは何ともいえない苦しみだ。この谷の法律は実に古いので、その解釈には数世紀の歳月が捧げられ、解釈自体がすでに法律とも言える。議会が法律の解釈に当って個人的な利害からわれわれに不利益をもたらすいわれはない。法律はそもそもの始めから議会のために定められたもので、議会は法律の外にいる。だからこそ法律はもっぱら議会の手中に委ねられているのだ。
(ジャコウネズミ博士)
 言うまでもなく法律の中には知恵が含まれている--誰が古い法律の知恵を疑うだろう。だがそこにはわれわれの苦しみもある。これは法律の性質上避けがたいことかもしれない。
(ヘムレンさん)
 ……ともあれ、これらの法律らしきものは実は単に仮装かもしれない。法律が存在し、議会だけの秘密として委ねられているのは伝統だが、古い伝統、古いが故にもっともらしい伝統以上ではなく、また、そうであるはずもない。それはこの法律が厳密に厳密な上にも秘密を条件にしていることからもわかる。
(ジャコウネズミ博士)
 けれどもわれわれが祖先の代まで遡り、議会の歴史と共に十分に研究して過去と未来に備えようとすれば、この場合、法律の全ては不確かとなり、おそらく理性の遊びに過ぎなくなるだろう。だがわれわれがここで検討するこれらの法律など存在しないかもしれないのだ。本当にこうした見解をとる小さな政党がある。この政党は、もしある法律が存立するとすれば、それは議会の行うことが法律なのだと証明しようとし、民衆の伝統を拒否する。実を言えば、この間の事情は次のような疑わしい逆説でのみ表現できるのだ。
・法律への信仰と共に議会をも排斥するような政党があれば、たちまちに全国民の支持を獲得できる。だが議会を排斥する勇気は国民の誰しも持ちあわせていないのだから、そのような政党は発生し得ない。
(ヘムレンさん)
 その刃の上に私たちは生活している。ある作家はこれを総括して言っている。
・われわれの上に課せられている唯一であり、目に見える、疑う余地のない法律は議会そのものである。
・われわれは、われわれの持つこの唯一の法律を失おうとしてはいけないのだろうか?